Mr. Taniguchi
Passed Away in his age of 88
88歳。福岡出身。
「平和への誓い」Pledge(commitment) for Peace |
自宅は長崎市渡島町15の33.
葬儀・告別式は9月1日午後1時から長崎市光町16の18、平安社長崎斎場本館で、喪主は長男英夫氏。
谷口氏は、被爆者団体「長崎被災協議会(長崎被災協)」を立ち上げ、運動の柱であり続けた。
近年は、入退院を繰り返していたが、長崎市で昨年12月に開かれた国連軍縮会議では
郵便局員だった16歳の時、長崎の爆心地から1.8キロで配達中に被爆。
背中などに大やけどを負い、3年7か月に及ぶ入院生活の中で、米軍のカメラマンによって撮られた写真が世界に発信された。
太平洋・ビキニ環礁で、米国が1954年に行った水爆実験をきっかけに、長崎で被爆した故山口仙二氏(2014年死去)らと共に、平和運動に尽力した。
原爆症認定の要件緩和など、被爆者援護の拡充を訴え続けた。
06年に長崎被災協の会長となり、10年から被団協の代表委員。
背中の痛みは日常生活にも支障をきたしたが、海外にも積極的に出向き、被爆体験を繰り返し語った。
「(各国が)核兵器をなくす努力をしなければ成り立たない。」
とビデオ・メッセージで語っている。
When the Nuclear Weapons Prohibition Treaty was supported by over
majority in UN of this July 7th 2017,
Mr. Taniguchi said,
“Unless every country has to make efforts to get rid of nuclear weapons, the real purpose of this
treaty cannot be achieved.”
被爆者運動の象徴として先頭に立ち、30日に88歳で亡くなった長崎原爆被災者協議会長の谷口すみてるさんは、原爆投下後の地獄を語ることを「生かされたものの使命」として背負い続けた。
長崎で命を奪われた約7万人の苦しみや運動を共にした仲間たちの願いを胸に、高齢になっても自らを奮い立たせながら国内外で体験を伝えた。
「目をそらさないで。」
2010年、被爆者代表として出席した米ニューヨークの核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、被爆者として「核兵器は人間と共存できない」と、各国代表ら約400人の前で「真っ赤な背中」の少年の写真を掲げた。
"Don’t turn your eyes away from this photo and look straight at it.
Nuclear and the humankind can not coexist."
"Don’t turn your eyes away from this photo and look straight at it.
Nuclear and the humankind can not coexist."
Mr. Taniguchi held up the photo in front of 400 people at NPT review conference in NY, UN, 2010.
1945年8月9日、16歳のとき、爆心地から1.8キロの路上で郵便配達中、爆風に吹き飛ばされた。
熱線で最中は大やけど。
入院生活のうち2年近くはうつぶせのままで、と床ずれで胸の肉は腐った。
「殺してくれ」
激痛のため何度も叫んだ。
1956年に山口仙二さん(故人)らと被爆者団体を立ち上げた。
入院中の谷口さんを撮影した米軍のフィルムは70年に見つかった。
その姿は世界に衝撃を与え、取材が殺到。
人前で話すことは苦手で、とまどった。
徐々に先頭に立つことを決心。
核兵器の恐ろしさを伝えるために、20回以上海外に渡り、被爆者の「顔」となった。
原爆が遺した傷は、肺を圧迫し、声を思うように出せない。
近年は入退院を繰り返した。
だが、亡くなった被爆者たちの叫び声を代弁することが「生かされている」理由。
体が動く限り休むわけにはいかない、と語っていた。
被爆70年の2015年8月9日
「生きてきた集大成」として、平和祈念式典で壇上に立った。
On the commemorating day of 70 years since Nagasaki
A-bombed, Mr.Taniguchi stood up on the podium as “a person who pledges for
peace”
「核兵器は、残虐で人道に反する兵器です。」。
静かな声には、深い感情がにじんだ。
広島でも悼む声
長崎で被爆した日本被団協代表委員の谷口すみてるさん(88)が30日亡くなり、核兵器廃絶の活動を共にした広島の被爆者や、若者たちに悲しみが広がった。
「被爆者のために力を尽くしてきた仲間を失い、非常に残念だ。」
ともに日本被団協代表委員を務めてきた広島県被団協理事長の坪井直さん(92)はコメントを発表し、別れを惜しんだ。
16年から、核兵器を禁じ廃絶する条約の締結を全ての国に求める「ヒバクシャ国際署名」の呼びかけ人を務め、時に街頭で署名を呼びかけてきた。
Mr.Taniguchi's “hibakusha appeal"..This might be the last.”
30日、都内であった国際署名連絡会では、参加者約20名が黙とうをささげた。
2010年、米ニューヨークの国連本部であったNPT再検討会議で、各国の政府代表に向けて演説した姿が忘れられない。
「各国の政治家にものすごいインパクトを与えた。ありがとうございました。」
Mr. Taniguchi, a person keeps urging “NoNukes”