世界核被害者フォーラム 森滝春子さん
Nuclear Victims Forum Hiroshima : Haruko Moritaki
中国 2020年9月28日
「被爆70年」の2015年11月21-23日、被爆者や平和活動家、放射線の専門家、医師らでつくる実行委員会が広島市内で「世界核被害者フォーラム Nuclear Victims Forum」を開催した。
このほど、報告記録集「核のない未来を!」を完成させ、3日間の議論の詳細を収録した。
市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」の共同代表で、実行委員の事務局長を務めた森滝春子さん(81)は、フォーラムに込めた思いを語る。
18か国から述べ1000人以上が出席した。(Scottish WILPF, Janet Fenton )
ウクライナUkraina,former USSR・チェルノブイリChernobyl原発事故に詳しい放射線医学の専門家や、フクシマFukushima第一原発事故で避難した住民らが登壇。
米ネバダNevada州Trinity実験場の「風下住人」のほか、英国の核実験場があったオーストラリアAustraliaの先住民も招かれた。
軍事利用、商業利用を問わず、各地で深厚な核の環境汚染や健康被害が報告された。
ウラン採掘や核実験は、権力を持つ側が、先住民など弱い立場の者に犠牲を強いることなしに成り立たない、という構造的な差別と格差を浮き彫りにした。
最終日に「世界核被害者人権憲章要綱」を採択し、
「核と人類は共存できないNuclear and the Humankind cannot Co-exist」と確認し合った。
森滝さんは長年、世界の核被害者(Global hibakusha)と交流してきた。
1998年に、インドIndia・パキスタンPakistanが競って核実験を強行すると、現地の若者を広島に招き、核使用の現実を伝えた。(when India & Pakistan become Nuke Powers in 1998)
インドIndia・ジャコダのウラン鉱山Uraniam Miningや、米軍が劣化ウラン弾Depleted Uraniumを使用したイラクIraqに赴き、健康被害と貧困に苦しむ地元住民と向き合った。
2002年の交流事業に参加したジャコダの少年が、26歳になってフォーラムの報告者としてヒロシマを再訪してくれた。
「一度きりで終わらず、連帯につなげることの意味を実感した。うれしかった。」
世界の核被害者が集う国際会議は、1987年に米ニューヨークNewYorkで、1992年にドイツGermanyでも開かれた。
特に1987年は、被爆者として原水禁運動の先頭に立った亡き父・市郎さんが開催に尽力した。
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