Monday, June 29, 2020


Quite amount of lights(a tortoise) has no names, or just MOMO


Because “having names” means to divide ideas or lands and to take its own,
(during his-stories, the humankind kept doing...).
However, Momo doesn’t have to do such things.  
Wherever she is, those are her home(the center)….
And the reason why the men in grey can't attack MOMO is,
perhaps the same reason why the human kind can't destroy the Earth.
(The planets' cycling balances create all living things through billions years &  human beings are one of them, so that we can't control the planets, but "by using languages in order to observe all things as objects  even for the planets" makes us (crying existence)  think many things contradictory.)
Except MOMO, nobody can't take the center deepest sound of the lands of the languages and notes, probably.

Wednesday, June 24, 2020


沖縄戦75年 平和を誓う
玉城知事、広島・長崎と「心を共有」
Okinawa pursues for ‘Peace’, 75 years after brutalities on lands, said Pref. Governor Tamaki

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沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした20万人超を悼む「慰霊の日」を迎えた。
About 200,000 lost their lives, 75 years ago in Okinawa battle.

75年前のこの日、旧日本軍が組織的戦闘を終えたとされる、最後の激戦地、糸満市摩文仁の平和祈念公園で。県などが主催する沖縄前線没者追悼式が営まれた。

玉城知事は平和宣言で、
「人類史上、他に類を見ない惨禍を経験した被爆地の『広島長崎』と、平和を誓う心を共有する」と述べ、平和を誓った。
Pr. Governor Tamaki told people, in his ‘Peace Declaration’,
“Like Hiroshima & Nagasaki, cities where A-bombed & going through  no comparative  atrocities in the human history, Okinawa will also share the  mind with those two, in order to pursue for Peace, because it has experienced similar war cruelties.” 

玉城知事は、平和宣言で、米軍普天間飛行場(普野湾市)の移設先、名越辺野古沿岸部で埋め立てを進める政府を直接批判はしなかったが、
「辺野古の海は、ウチナーンチュ(沖縄人)の財産。人類史上他に類を観ない惨禍を経験された『ヒロシマ・ナガサキ』と平和を誓う心を共有する。」と述べた。

戦後75年の節目で、初めて招かれる予定だった、広島市の松井実市長、長崎市の田上富久市長、国連軍縮代表の中満泉事務次長も、ビデオメッセージを寄せ、国際平和の実現に向けた連携などを呼び掛けた。

追悼式では、遺族160人が、正午に1分の黙とうをささげた

県立首里高校3年、高良朱香音さん(17)が詩を朗読し、平和をつなぐ決意を示した。

平和の詩「あなたのおかげで『今』がある」

沖縄県立首里高校3年の高良朱香音さん(17)は、
平和の詩「あなたがあの時」に,
感謝とバトンをつなぐ決意を込め、
23日の沖縄全戦没者追悼式で、会場の一人一人に語り掛けるようにゆっくりと読み上げた。

高校1年のころ、平和学習で入った激戦地の壕。
真っ暗闇での経験から、当時を生きた人々に思いをはせた。

迫りくる悲劇を知らなかった幼子や、独りぼっちになった少年、少女。
敵から隠れるため、母親が泣いた赤ん坊の殺害を強いられる中、
声を上げずに助かった子。
捕虜になるなどの教えに背き、少女に投降を促して命を救った人・・・。

「ありがとう」
戦禍を生き延びた
「あなたのおかげで『今』がある」

命がつながれて自分が今ここにいること、
生き残った人たちが今の沖縄を築いてくれたことに、
感謝の思いが込み上げた。

特定の人ではなく、聞かせてもらった体験談などから想像した「あなた」。
これまで体験者に寄り添う受け身の姿勢だったが、
自身の立場から沖縄戦を振り返り、彼らに何を伝えられるかを考えた。

「悲惨な時代を生き抜いた人たちの気持ちが、少しでも楽になれば、まっすぐに届いてほしい。」
声を発する側になり
「同世代の人とも、平和について話せるようになったらいいな。
詩を聞いて思うことがあれば、発信してほしい。」と願う。

希望の光を消さない、消さない。

託されたバトンをどうつないでいけるか、模索している。




Monday, June 8, 2020


朝鮮人、その他被爆者
Korean, & other hibakusha

中国 202068

広島市は、いまだ明らかになっていない原爆被害者の実態をつかむため、1979年度から原爆死没者の名前を集めて積み上げる「原爆被爆者動態調査」を続けている。
しかし、海外の被爆者団体や公的機関の資料は対象にしていない。今後活用を検討するという。

在外被爆者を巡っては、日本政府が2003年まで被爆者援護の対象から排除していた経緯がある。

原爆が投下された当時、貧困から逃れるため、あるいは徴用などで多くの人が朝鮮半島から日本にきていた。

市民団体「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」は「植民地支配と戦争という日本の国策の中で犠牲になり、生き残った人も戦後に苦難を強いられた。この歴史を踏まえ、日本政府が自ら原爆被害の実態解明に努めるべきだ」と話している。




Nuclear and the Humankind cannot Co-exist Nuclear Victims Forum  / 竜安寺石庭 Ryoan Temple Stones Garden

Saturday, June 6, 2020

原爆死没者名簿の記帳

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市は5日、原爆死没者名簿の記帳を始めた。
Registering new names of hibakusha has been started since yesterday.

昨年86日以降に亡くなったか、死亡が新たに確認された被爆者の名前を書き加え、今年の平和祈念式典で原爆慰霊碑に納める。
Those are who has died or found out 'dead' for this year, and added to the books under the cenotaph.

被爆者hibakushaの池上和子(Ms.Ikegami)さん(78)と中本(Ms.Nakamoto)信子さん(77)が記帳したwrote new added names of 2,581 hibakusha
5日までに新たに把握した死没者は、広島で被爆した2,581人。

二人は名簿を前に手を合わせて黙とうした後、名前や死亡年月日、年齢を筆で書きこんだ
「被爆75年目を迎えても核兵器はいいまだに廃絶されていない。被爆者の冥福を祈り一字一字丁寧に書きたい。」(池亀)
「コロナウイルスでみんなが苦しみ、悲しんでいる。命を大事にとの思いを共有しながら記帳していく。」(中本)

死没者名簿は、計118冊あり、昨年85日までに319,186人分の名前が載った.
名簿のうち1one booktitled「氏名不詳者多数many unknown」と記している

118 books for 319,186 hibakusha / Koreans & other hibakusha