「おとぎ話」の主人公たちは、両親に捨てられたり、森の中に迷い込んだり、おむすびを追って深い穴に落ち込んだりする。
このような「退行」によって、無意識界の奥深くに分けいった主人公たちは、そこで多くのものに出会う。
ある人は美しい白鳥を見、ある子供はお菓子の家にたどりつく。
各地に存在する「浦島」の、ある物語では、母親と住吉(すみよし)へお参りにいき、雑踏の中で母親にはぐれてしまったところからはじまっている。
「退行」が、「創造的退行」であるためには、そこに新しい要素が生じてくる必要がある。
主人公もそれに対応して努力を払う。
主人公は、一匹の「亀(a tortoise)」をつりあげた。
世界中の神話や伝説に登場する。
Appears in many mythologies all over the world.
Appears in many mythologies all over the world.
「日本昔話集成」の中で、浦島の話しと関係の深い「竜宮童子」の話としてまとめられている話では、「乙姫さまの使い」として「亀」が登場する。
In Japanese old story "Urashimataro", a tortoise is sent by OtoHime(Sound Princess) from under the deep sea.
また、これらの類話のである「海幸・山幸」の物語においては、「日本書紀」で「一書に曰く」として、豊玉姫がが亀に乗って現れてくる、という記述がある。
「古事記」には、神武天皇の東征のとき、
「亀の甲に乗りて、つりしつつ打ち羽ふり来る人」が現れ、誰かとたずねれば「僕(み)は国つ神なり」と答え、水先案内をしたことが述べられている。
つまり、我が国の神話における重要な対比のひとつである「天つ神」「国つ神」に注目する時、「天つ神」に対する属性として、出雲の神を見るならば、出雲(Izumo)大社の紋が、「亀甲紋」を有することは、興味深い。
「浦島が亀の背中に乗って竜宮に行く」というテーマは、古いものがたりには記述されていないので、いつごろから生じてきたかというと、18世紀も終わりに近いころではないかと推論されている。
確かに記録に残っているものとしてはその通りであるが、国つ神の「乗りもの」として、亀が古い時代に登場していることは興味深い。
中国(China)やインド(India)では、「亀(a tortoise)」の象徴的(metaphor)意味は、ますます明白なものになる
「列子」の湯問篇によれば、渤海の東幾億万里に五つの山があり、これらは不老不死の仙境であるが、この五山が海に浮いているため、静止できない。
これに苦しんだ仙聖たちが天帝に訴えたので、天帝はこれを三組にわけ、三交代で五つの山を支えるようにした。
その「支え」に「大亀」が登場している。
(A big tortoise appears, supports from the bottom and makes the whole world a peace & safer place.)
(A big tortoise appears, supports from the bottom and makes the whole world a peace & safer place.)
また「蓬莱山」の名前が見えていることにも注目したい。
というのは、浦島伝説の古い記録を残している「日本書記」には、浦島が「とこよの国に行った」と書いてあるが、それに「蓬莱山」の字があてられている。
「世界の土台としての亀、a tortoise, founding basement」のイメージは、アメリカン・インディアン(American Indians)の神話の中にも認められる。
またインド(India)の神話では「ヴィシュヌVishunu」の教えによって「乳海撹拌」が行われるとき、そのあまりにものすさまじさに世界が破壊されそうになったとき、ヴィシュヌ自身が大亀となり、撹拌の棒の軸受けとなって、世界を安定せしめる。
general metaphor of the whole world |
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