Tuesday, September 5, 2017

「死者の霊」 ’Dead People’s Spirits’

かれらは、埋葬が行われている間、および埋葬がすんでからも一定の期間、常に墓穴の風上にいる。

死後、かれらは風に吹き流されており、生きているものに害を及ぼすと考えられている。

かれらは月が少なくとも3回、満ち欠けするまで、墓穴(はかあな)のそばにとどまる。

ひとびとは、何よりも「死者の霊」を重んじる。
「死者の霊」は「ここにいない人」と呼ばれている。
People respect “dead people’s spirits” more than anything else.
They call them “people those who are not here”.


こうした「霊」は、普通に吹きわたる「風」ではなく、
「つむじ風」にのって動くのだという。
People say “dead people’s spirits” usually come by riding on twisters, tornadoes or other natural disasters.

その中に霊がいて、ときには、ひとびとを連れ去るものと思っている。
And sometimes they take away people.

ひとびとが、たき火を囲んで踊るときには、必ずかれらが木々の間の暗闇にひそんでいる。
When living people are sitting, talking and dancing around the center fire, some of dead people are always staying and watching us in the dark bush

「月」のまわりにかさがかかっているときには、かれらもいっしょに踊っているのだと、ひとびとは、みんなそう信じている。
When in the nights if you can see an umbrella around “the moon”, living people believe in that dead people are dancing with us together.

「月」は踊りのたき火であり、
「月のかさ」は、かれらが踊ってできた輪であるというのだ。


“The moon” is center fire for dead people’s dancing circle, and “the moon’s umbrella” is a trait and a sign that they danced with us together.


この著書は、文明化された欧米人が、ほとんど何の文明も持たないアフリカの人々とともに生活し、彼らを観察した記録。
自然のみの波長にあわせる生活は厳しいが、彼らの感情に「Evils」をほとんどみない。
出産は特殊な事情以外はひとりで行うので、火を囲んで人々の集団のなかにいると、いつのまにかひとり赤ん坊が増えていたり、他の動物がしているように、「死期」をなにかしら知っているのか、集団からひとりで離れたりもする。
「文明civilization」は文字通り「言語languages」が深く関係しており、歴史「his-story」のテキストが「ラスコーの洞窟Lascaux」から始まるように、道具instruments&weaponsと言語languagesの獲得による「(程度の差はあれ)安心できる人工的環境places being able to "stay safe"」が確保できるようになってからと思う。

(「ハームレス・ピープル'Harmless People in Africa' 原始に生きるブッシュマン」より)





昭和12年ごろの夏、房総半島に泳ぎに行って、そこの猟師のおかみさんから聞いたんだけどね、海へ出る人ってのは、しけるとき、って直観的にわかるのね。

それがとってもいいお天気でね、おかみさんが「なんか胸騒ぎがするから出ないでくれ」って言うのにね、「こんな天気のいい日に出なけりゃって、出たんだって。そうしたら、昼ごろから風が吹いて、雨が降って、しけて、大嵐になって。

日が暮れても、まてど暮らせどかえって来ない。
The Stories of going to "another world"


これは遭難したかと思って、一生懸命お灯明あげて仏壇を拝んだんだって。

そしたら、夜の11時ころに、海辺に向いている雨戸をとんとんって叩く音がするんで、帰ったと思って戸をあけてみたけど、誰もいない。

空耳かなぁと思って戸を閉めて、ひょっと振り返ってみたら、

畳の上にね、開けた戸のところから、水でぬれた足跡がずーっと仏壇まで続いてるんだって。

仏壇のお灯明がふらふらーっと揺れたとおもったらぱっと消えたんだって。

あとから考えたらちょうどその時刻に亡くなったんだって。

「死のはなし 松谷みよ子」より


“Many Lives, Many Masters”

「私は下の方へ、すごい速さで落ちてゆきます。(p103)

“I’m falling very fast.”(p94)

「建物が見えます。丸い柱の建物があります。私たちは建物の外にいます
木があります。オリーブの木です。とてもきれいです。」


“I see buildings….buildings with round columns. There are many bildings. We are outside. There are trees….olive trees around. It’s very beautiful.”



「あなたは、どんな様子ですか?」

“What do you look like?”



「私は茶色の髪をしています。髪は編んでいます。」

“I have brown hair. My hair is in a braid.”



これは紀元前1500年のギリシャあたりの人生に戻ったのではないかと私は思った。

Her description of herself and the presence of olive trees reminded me of Chatherine’s Greek-like life time….fifteen hundred years before Christ.



「あなたのお父さんはそこにいますか?」
“Is your farther, there?”

「父はいません。あなたがいるわ。そして私と一緒ではありません。」
“I do not see him. You are there somewhere.”

私の勘は当たっていた。
私たちは3500年前に戻ったのだ。
So I was right.
We were back to thirty five centuries…

催眠退行を行うことによって、彼女の症状は著しく回復した。
これは従来の精神療法では、決して達成することのできないものであった。
そして、彼女の知るはずのない死後の霊的世界からの寒気を催すほど正確な情報、霊的な詩、死後の次元について、人生と死について、誕生と再生についてなどの教え、いずれもキャサリンの能力をはるかに超えた知恵とスタイルを持って話すマスターたち、精霊からのものであった。
本当に考えることはたくさんあった。
Hypnotic regression to past lives with detailed observations and explanations of objects, process, and facts – which she had no knowledge of in her normal, waking state; improvement not even remotely achieved by conventional psychotherapy over the first eighteen months of treatment; chillingly accurate revelations from the after death, spiritual state, conveying knowledge she had no access to; spiritual poetry, and lessons about the dimensions after death, about life and death, birth and rebirth, from Master Spirits who spoke with a wisdom and in a style well beyond Catherine’s. There was, indeed, a lot to contemplate.

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