Wednesday, September 6, 2017

OCHIKUBO Story (10 centuriy)
Why “the men in grey” can never attack “Momo”?
Because amount of lights is quite different.....

そうしますと、これは西部劇でもなんでもおお決まりのパターンです。

きれいな女性がいて、変なじいさんが現れて、そこへ貴公子がいる。

はたして、次は、みなさん想像がつきますか?

お決まりのパターンとは全然ちがうことが出てきたので、わたしはむちゃくちゃ感激したので、わたしはいまはなしているのですが、その解決策は傑作です。

じいさんがやってきて、おちくぼの君は大変ですから、せめてできることというのは、戸に棒をつっかえてバリケードをつくって入ってこれないようにする。

じいさんは夜中に遅くいって、必死になって開かないかと思って家のまわりをぐるぐる回っている。

回っているうちに、だんだんお腹が冷えてきて、ピチピチと音がしだした。

そして、じいさんは下痢をして、とうとう袴が汚れたので、飛んで行って洗ってもなかなか落ちない。

必死に洗っているうちに、白々と夜が明けてきた。
そういう「解決(story ending)」になっているのです。

おそらく、こういう解決は、世界中ないのではないか?と私は思っているのですが、
This kind of "story ending" can never been read in other countries' stories  except Japan.

Why Japan is called “the land of rising sun”?

簡単にいってしまえば、人間の戦いではなく、人間の身体的自然現象が解決をもたらしている。
More easily to explain, "the fighting" is not between hu-mans, but "the fighting" gets into the evil's  bad body conditions or nature surroundings  appeared as phenomenon of total power balancing like "micro to macro in atoms" goes to "macro to micro in DNA".(related)


そういう「ものがたり」が堂々と語られている。

しかも、みなさん笑われましたが、そのじいさんのカンカンになって怒って、あんなことになっておれは失敗した、としゃべりまわったら、頼んだお母さんはじめ、まわりの侍女たちが「死にわらいき」と書いてあります。
死ぬほど笑ったのでしょうな・・。
ものすごく、ユーモアがあって、おもしろいのです。
Kawai Hayao
「こころの最終講義 河合隼雄」




「『私』を支えているのは何か?」
What supports ‘I’ identity?





職業であったり、家族であったり、あるいはご近所の人であったり、だれでも、「自分はなんとかである」といって「私を支えている」わけですが、それらはすべてなくなる可能性があるのです。
Everybody is supported by ‘Identity’,
like ‘I am an office worker (professions).’,
 ‘I am a mother (positions of family)’,
‘I am a leader of my village (positions of own neighborhoods).’ 
 However, those identities may  disappear, suddenly.

本当は「宙に浮いているもの」と同じではないか?
So, when we think about ‘I ’identity,
 it might be a thing floating in the air…..

ある日、自分は将来「ご先祖様になるんだ」という人にあった。

その人は、ゴム長靴をはいて、はんてんを重ね、白い髪が垂れていて、大工さんをしていた。

兵隊にもいき、子供ができ、孫もいる。そして自分の墓もちゃんとできている。
One day, Mr. Kunio Yanagida(柳田国男) met a man, who says,
“I will be one of my ancestors in the future.”
He wears long boots, and old Japanese jacket.
His hair is white and not combed….
His profession is a carpenter.
Once he became a soldier,
has children and grand children..
and he has already his grave….

そして「自分もそのうちご先祖様になるんだ」といっている。
And he is saying,
“I will be one of my ancestors…in the future”

「自分も、ご先祖様になるんだ」というアイデンティティーはすごいです。
This way of thinking is marvelous.

たとえば、原爆か何かで地球がぱっと全部つぶれても、この人のアイデンティティーは揺るがないと思います。
If the Earth may disappear by nuke bombs at once,
but his identity never to be extinguished,
“I will be one of my ancestors in the future…”
This way of thinking can never be changed...

なぜかというと、ご先祖をなくする、ということは、誰もできることではない。
Nobody can destroy anybody's ancestors (DNA)…..

つまり、その人は、ご先祖とつながっていて、そのうち自分もご先祖様になりますよ、といって生きています。
I think that man is always thinking about the relations of lives from ancestors to descendants…for him.

ちょっとしたものとか、ちょっとした話とか、そういうものが案外にわれわれのアイデンティティを支えているのではないでしょうか?

Tiny customs and everyday routines are supporting our identities, I think.


そして、その修練していった形で、「ご先祖様」というものが、その人を支えているのですから、こんなすごいアイデンティティーはないのではないでしょうか?
And collections of this consciousness and unconsciousness and relations are connected to our ancestors…(in DNAs)
If like this man, we become able to think that
 ‘Our ancestors are supporting I, and then I will be one of our ancestors in the future…’
I think this way of thinking becomes very strong identity that can support ‘I’.

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