Saturday, November 18, 2017


Writer Alexcievich(アレクシェービッチ) speaks on Nuke disasters and human hubris

「チェルノブイリの祈り」より
Excerpt from "Voices From Chernobyl

Then the doctor came out and said.
Yes, they were flying to Moscow, but we needed to bring them their clothes.
The clothes they’d worn bring at the station had been burned.
The buses had stopped running and we ran across the city.
We came running back with their bags, but the plane was already gone.
They tricked us.
So that we wouldn’t be there yelling and crying.
そのとき一人の医者がでてきてはっきりといいました。
夫たちが飛行機でモスクワに発つこと。
私は夫に服をもってこなくちゃならないこと。
発電所が爆発したので、服は焼け焦げていましたから。
バスはとっくに止まっていたので、私たちは町中走りました。
手提げ袋を持って、走ってもどってみると、もう飛び立った後。
だまされたのです。私たちが泣いたりわめいたりしないように。


I’ve wondered why everyone was silent about Chernobyl, why our writers weren’t writing much about it, They write about the war or the camps, but here they’re silent. Why? Do you think it’s an accident? We don’t know how to capture any meaning from it.
We are not capable of it. We can’t place it in our human experience or our human time frame.
なぜ母国の作家は沈黙し、チェルノブイリについて本当のことを書かないのだろうか。
戦争や強制収容所の事は書き続けているのに、なぜ黙っているのだろうか。ぼくらはこの惨禍から、どうやって意味のあるものを引き出したらいいのかわからないでいる。できないんです。チェルノブイリでは。僕らの人間の経験や時間を推しはかることができないのです。

Come on. Eat it. You like orange.
The nurse is looking at me in horror.
Someone is saying
 “This is not your husband anymore, not beloved person, but a radioactve objet.
I’m the who’s lost her mind.
But I love him. I love him.
「さあ、お食べ。オレンジが好きだろ。」
看護婦は私を恐怖のまなざしで見ていました。
だれかがいいました。「この人はもうあなたの旦那さんではありません。
あなたの愛するひとではありません。」「放射性物質なのです。」
私は、心を失ってしまいました。
でも、私は彼を愛しています。愛しています。

There were berries in the forest and mushrooms.
But now that is all gone.
They don’t let you eat the mushrooms or the berries.
I always thought that what was boiling in.your pot.would never change, but it’s not like that.
People were told not drink water here. How can you live without water?
Human body is almost made of water. Water is the Life Base of everything.
Who should I ask the reason? Nobody answer me. So I only pray.
森にはきのこやベリーがあった。だけど、今じゃ暮らしが変わってなにもかもだめになっちまった。自然の恵みはいつまでもあるもんだ。鉄なべでぐつぐつ煮込んでいるものは永遠のものだと思っていた。それが変わってしまうなんて。ぜったい信じられなかったろうよ。ここの水を飲んじゃならんという。水なしでどうしろというんだね。人間の体は水だよ。水はすべての命のみなもとだよ。だれに聞けばいいのかね。だれもいってくれない。お祈りするんだよ。

At first, I waited for people to come.
I thought they would come back.
No one said they were leaving forever, they said they were leaving for a while.
But now I’m just waiting for death.
Dying isn’t hard, but is scary.
There is no church.
The priest doesn’t come
There’s no one to tell my sins to.
はじめのうちは、村のものを待っとりました。
みんな戻ってくるだろうと思って。
一度も戻らないつもりで出て行ったものは一人もおりません。
ほんのちょっとのつもりでした。
今じゃ私は死を待っとります。
死ぬのは難しくないが、恐ろしい。
教会がありません。神父様もきなさらん。告解を聴いてくださる方はおりません。

What do I pray for?
Ask me.
What do I pray for?
I want love! I do love.
I pray for my love.
But for me….(I can see she doesn’t want to talk.)
We live in Pripyat, near the nuclear station, that’s where I was born and grew up.
In a big pre-fab building, on the fifth floor.
The windows looked out onto the station.
On April 26th, there were two days, those were the last two days in our town.
Now it’s not there anymore.
What’s left there isn’t our town.
I’m afraid. I’m afraid to love.
I have a fiancé, we already registered at the house of deeds.
Have you ever heard of hibakusha of HIROSHIMA?
The ones who survived after the bomb?
They can only marry each other.
No one writes about it here, no one talk about it. But we exists.
何を祈っているかですって?
私が何を祈っているのか、あなたはたずねたいんですね。
私は教会では祈りません。祈るのは心の中で。
私は愛したい。愛している人がいるんです。祈っているのは自分の愛のため。
でも私・・・。(言葉が途切れる。話したくないらしい。)
私たちはプリチャピ市に住んでいました。
原発のとなりです。私はそこで生まれ、育ったんです。
コンクリートパネル式のアパートの5階で。
窓は原発の方を向いていた。
426日、二日間、私たちの街での最後の二日間。もう私たちの町はありません。
いま残っているのは、私たちの町じゃない。
私はこわい。愛するのがこわいんです。
フィアンセがいて、戸籍登録書に結婚願いを出しました。
あなたは、ヒロシマの「ヒバクシャのことをなにか耳になさったことがありますか?
原爆のあと、生き延びている人々のことを。
これらはヒバクシャ同士の結婚しかのぞめないというのはほんとうですか?
ここでは、このことは話題にならないし、書かれない。

チェルノブイリChernobyl事故が起こったのは1986426日、この「ストーリー」が発表されたのは「フクシマFukushima」後である。切られる「個人」と「体制system」という文脈でいえば、冷戦時のソビエトという「体制」の大きさゆえに、個人はここまでシビアに切られている、とも思われるが、「個人」が「(本当は)何から切られているのか?」という文脈でいうと、「体制」よりもはるかに大きく、生命をあたりまえのように支えてきた「水water、大地ground、自然nature、そして培ってきた先祖ancestorsとの関係」や「古来からの宗教religion」という、もっと壮大なものから「(人間が)切られ」てしまっていることがわかるだろうか?

それら壮大な生命全体の体系・ダイナミズムは、「ことば」に依存せずとも、億年billion yearsを通じ多様な形で私たちの生命をも支え続けてきた。また「体制」といえども人間が「言語構築」したものでしかなく、生命全体の体系・ダイナミズムは、それらよりはるかに先に派生しているにもかかわらず、我々は「言語」によって(人間も含め)多くのものを「物質」と化すことで、そこから人間をも切ってしまおうとしているのである。

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