Thursday, May 25, 2017

核(兵器・原発)惨禍を「技術の歴史」の枠から考えてみる
Considering why 'Nuke Disaster' happened, 
throughout the long history of technologies.


現在、世界が「つながる一歩手前にいる」と考えている。
たとえば「戦争」という時代からの脱却点にいる、とする。

米国は、世界史の中での第二覇権帝国である。
第一覇権帝国はローマである。
この二つの歴史上の覇権帝国の底辺を太く脈として流れているのが「キリスト教」である。
一神父性教の代表的宗教である。
America is the second Empire of the world history.
Rome is the first Empire.
And these two Empires have the same religious base flow at the bottom. 
That is Christianity.

第二次世界大戦で米国が戦勝国になる「戦運」をわけたのは「ミッドウエー海戦」というのに異論のある人もあまりいないだろう。

そしてその戦争の終わりに広島と長崎に原爆が投下された。

アメリカという国は、(キリスト教文脈における)世界の第二「覇権国家」となり、
そこには常に「武力」としての「核」が存在した。

長崎は「キリスト教」の街であり、その土地の宗教性は江戸時代から脈々と続いている。

その前をさかのぼると、日本における「キリスト教」は、ザビエル宣教師の布教、信長、秀吉などとつながり、鉄砲の伝来と戦国時代(武器と戦争)とも密接に関わっており、それは西洋の大航海時代(「大洋航海技術」)と並行している。
Christianity reached Japanese islands because of the technologies of 'Sailing across the Oceans'. 
It is the same time, the ways of making 'teppo(鉄砲・guns)' were brought to Japanese islands.

500年前となる。
It was about 500 years ago from now.


その時代、日本は、戦国時代で、秀吉は利休に切腹を命じ、徐々に独裁色を強め、いままでアジアから文明の影響を受け、そちらを高度な文明を持つ大陸として崇めていたのに、そこ(朝鮮半島)へ逆に攻めに入っていったのである。

In those days, Shogun Hideyoshi met Christian missionaries several times, however his greed toward Power to control everything become  stronger gradually, then he become to be afraid of losing his power because of Christianity, then he prohibited Christianity and ordered Rikyu (a spiritual leader of Zen at that time) to kill himself, and invaded Korean Peninsula.

これは、キリスト教的なものが「西洋の航海技術」によって伝えられたがため、思考方法におけるバランス的なもの、「どちらを上とみるか」という視点が東西が逆になった影響が非常に大きいと考えている。

This makes me think like this, ‘Western ways of thinking’ was brought to Japan with Christianity and technologies of making guns and others. Those things changed ‘people’s ways of thinking’ drastically. Until then, Japanese people thought China and Korea located in their East were the places where  they learn the ways of thinking, civilization and technologies, but Western culture reached because of the technologies of Ocean Sailing. The direction, people looking at and respecting at, become opposite, suddenly, from East to West, because new technology looks always shining at first. Then they lost their balance of culture and ways of thinking. Hideyoshi had lost the bottom of his beliefs, so he prohibited Christianity  as religion and killed Spiritual Leader Rikyu. That made him, a dictator.



また、その同時期、500年前というと、やはりこれも当時の「大航海技術」により、コロンブスがアメリカ大陸に到着し('500 years ago' is approximately the same time when Columbus reached at American continent.) 、その後、続々とヨーロッパから移民が入植し、アメリカが国として建国された時期と並行している。

That time and later, was parallel to European people who believed in Christianity immigrated into American Continent and America as a nation was finally founded.

原爆ドームや慰霊碑などのかたちが、広島が「ドーム型」「丸型」に比べ、長崎の慰霊碑は、仏教の影響を受けたものと、十字が混在したような「ふたつのイメージ」を受けないだろうか。


死者を悼むことと「宗教性」は深く関連しているが、広島の場合は「円型」長崎のものは日本が歴史上外国からどのような宗教性をとりいれてきたか(仏教・6世紀、キリスト教・16世紀)が映し出されているように見える。

Condolences toward dead persons were strongly related to ‘religions’ everywhere, and I might think that comparing to Hiroshima center cenotaph, its shape has  ‘round’ image , Nagasaki cenotaphs images are reflecting what kind of religions Japan have gotten inside through its history from outsides. (6A.D. Buddhism, 16A.D. Christianity)

現代のわたしたちの生活は、日本人のものでさえ「キリスト教」をベースにした思考方法、現在ある技術発達のベースとして大きく影響を受けていることは、大きな枠で考えるとそうである。
(ちょんまげも着物も「普段用」ではもはやない)。

それらは、客観的思考、科学的思考から生み出されたものであり、またその思考方法も、その思考を支える言語も非常に「切れる」

そしてその技術を、ほぼこの地球全世界の人々が受け入れ、恩恵も受けている。

ちょっとみわたして、ある身の回りの工業製品の数を数えれば、そのことにも気が付くだろう。

だから、一神父性教が悪い、英語が・・悪い・・自分たちは違う、といって、自分だけをほめたたえ、米国・アメリカに対する不平の域を出ないのでは、

そこから生み出された技術によってもたらされた生活の質の向上の恩恵をふんだんに受けながら、
「オヤジはゆるせん。あんなやつは死んだ方がいい」と反抗し、
一方で生活費はどっぷりたよっている世間知らずの息子の思考域を出ない。

その米国が「核なき世界」をとなえた
2007のはなしである。
In America, very significant four persons started to consider and focused on "World without Nuclear Weapons."

「大航海技術」によって日本に鉄砲がもたらされ、またその「技術」によってアメリカという国が建国された、500年後となる
From long history of technologies, it was 500 years later since Ocean Sailing technologies brought 'teppo鉄砲' and 'Christianity' to Japan, 
and  the same technology  made pilgrims in Europe go across the Oceans and built their own country as America.

その間の技術発達の大きなものとしては、航空技術がある。
約100年前になる。
Airplane Technologies was invented about 100 years ago.

世界大戦はその技術をもとに戦われたといっても過言ではない。
反対にその技術によって、戦場が「世界規模」になったといっていい。
The 'airplane technologies' expanded "War Size" much bigger, and then "wars"  become "the World War" scale.


核技術も、航空技術と同じくらいで(ベースが数学・物理なので)、レントゲン博士がエックス線を発見したのが1895年。
ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は、航空機に核爆弾をつんで武器として使用した(1945年 約70年前)ということになる。
History of nuclear technologies is almost the same as airplane’s.
(because its  basement is on physics and mathematics)
Dr.Rontgen discovered the X-ray in 1895.
"Hiroshima and Nagasaki" was in 1945, 
about 70 years ago.(not so far distant past)


「核なき世界・核廃絶」について、その論旨を主要メンバーがウオールストリートジャーナルに載せ、非常に話題になった。

そのうちの二人が、レーガン政権時のシュルツ国務長官と、クリントン政権時のペリー国防ぐ長官である。

とりもなおさず「核廃絶」は、広島・長崎の被爆者たちにとっては、もちろん悲願だろう。

ただ、悲願はするがそれを実感できるには長い道のりが横たわっているだろう、どんなめどがつくのかは想像できない、というのが70年前の人々が直観したことでもある。

広島・長崎から60年を経過し「核廃絶」を、製造した側で最初に唱える4人が出てきた。
これは画期的なことである。

その一人であるウイリアム・ペリー氏は、19歳のときに日本に配属され、日本の敗戦の様子をその目で見ている。

そしてその「破壊」の様相に、発達した「技術」と「戦争」がもたらす、きらびやかさの反対にある「もう一つの側面」に衝撃を受けている。
One of the four persons who started to say "World without Nuclear Weapons," Secretary William Perry says about the impression of defeated Japan in 1945,
 "What I saw in Tokyo and Okinawa, changed my view all together. About the glamour and glory of war."

実際の体験がもたらす衝撃や直接の感覚というものは、いくら言葉を並べて説明しても、語られない、言葉を超えるものがあるし、それでも深く人間の心理の奥底に食い込んでくる。

それは、戦争のもっとも先端部分で戦った名もなき兵士たちや、原爆の被ばく者たちの経験にも通じる、勝敗を問わない、同じ「人間」として共有できるものでもある。
As persons standing on the same ruins, as humankind, beyond allies or enemies, people can share the same feelings, imagination and co-passion because its devastated scene would bring same imagination that we are the same species which  go through same life and death.


「核兵器」というのは巨大兵器なので、おのずと機密事項が非常に多くなるだろう。
それでもその巨大兵器による「傘」という概念、核兵器によって「安定をもたらす」という概念が通用していたのが、そのころまでではないかとも想像する。

一方で、安心の名のもとにさらに奥深い「最先端技術の闇」に置き去られていたのが「核兵器」よりも人々がさらに安心や信頼をおいていた「原発(Nuclear Power Plants)」である。

チェルノブイリ事故は1986年に起こった。

スリーマイル事故は1979年で、その事故の12日まえに映画・チャイナ・シンドローム(China Syndrome)が公開されている。
この一件だけみれば、それは偶然だろう、と言い切れるかもしれない。

けれども「フクシマ」は、予知している作品が、その10年前からであり、とても多い。
人間種の非常に深いところで危険信号がもはや灯されていると考えざるおえない。

I can't help but think that 'Alarming Bell' started ringing for human beings as a  species that is about to extinct since Fukushima in the bottom of our unconsciousness.


現代文明のどこがおかしいのか、というとそれはあまりにもの「死」の概念の否定にあると思う。
生まれたものは死ぬのが当然の流れなのだが、そのこと、「死」があたかもないかのごとくの「なにものか」にしがみついているところではないか。
死ぬのがあまりにも怖い、「死」に対する不安感が根っこにあるがための、その逆の「永遠の命」であったり、「永遠の若さ」、「永遠のエネルギー」を渇望しているのではないか。

あたりまえであるはずの「死」を遠ざけ、すべてになぜか「永遠」をつけたがり、現状とは逆の「オールマイティー感」を誇示せざるおえない異常な「力」への渇望がある。

そして一方にあるのが、口にだすのもはばかるほどの「大量破壊・殺戮の闇」なのである。

これから先、同じ地球に住むひとり、ひとりの人間が、意識を向けなければならない方向は、「死ぬこと」と「死者」ではないかと思う。

生まれてくることも大変なことであり、そこには喜びも苦しみもすべてあり、そこにあるのは「明るさ」だけではない。
そして、産まれてくれば、そこから「死」というゴールをめざすのも必然であり、それは他の動植物との差異もない。

また「死ぬこと」は敗北でも暗闇でもなく、それは生まれたときにあったと同様の苦しみと、それ以上の深い心の動きが、死ぬ者にも、それを看取る者たちにもあるはずである。

死をさけるためばかりの「技術開発」をめざしても、その「技術の歴史」を数百年眺めれば、そこには多くの犠牲と死を伴ってきた結果があり、それらを打ち捨てて、いくら見ないように隠しても、これからの「技術」が、いま「生きるものたち」に「生の永遠」を保証するものでは決してない。

「技術」は常に「死と破壊」とともに人間とともにあり、「便利さ」
というのは必然「名も亡き多くの死者」の犠牲になりたってきたものである。

そして、これ以上の技術、特に武力開発は、私たち人間という種の全体の「突然死」をもたらすものである。

そうであるならば、もっとひとり、ひとりが「自分の死」「他者の死」に思いを馳せるべきである。

先祖の死、家族の死、自分の死、他人の死、見知らぬ人の死、多くの死が、現在の私たちのもとへと続き、私たちの「いまの生」を支えてくれている。

「生」と「死」は、どれも、たとえ名もなき者たちのものも、連綿と続いて切れているものはひとつもない。


In Japan, actually the culture of life and death and ways of thinking were quite different from Westerns’ and that of ours nowadays’ too.

Before Buddhism entering, people believed in “everything has life. Even one stone or one tiny pebble has soul in it. Plants, woods, grass, seeds, trees,…everything”

After having Buddhism Belief, even though things had been mixed up, and still now we have Bon Festival every year.
Many know that we think this means every year we welcome dead persons and dance together.

People in old days here, did not think life and death separate so clearly.
Even if a person die, soul will not, sometimes dead person’s soul stay various places or come inside myself.

But after having Western Style thinking ways, these cultures were faded away gradually, but still familiar somewhere in our hearts and minds.

During 20 century, it is no doubt that technologies advancement was marvelous.
But it was so shining and cutting edged that people become hubris like Hideyososhi become,or like Ms. Alexcievich says

If you think, for example, that all dead persons are still there and they are looking at you.....
They are related to ourselves.
Everything is connected.
If you notice, you will find out.

So, when you try to do something secrecy behind the scene, 
your ancestors, the Sun of God, and a lot of things are looking at what you are doing..... 

You may not and can not do so much inhumane things, so easily.


アインシュタインは、「核兵器」は「人間のものの考え方」以外のすべてのものを変えてしまった、と語った。
Einstein said, 
“Due to the advent of the nuclear bomb, everything has changed except the way of motive of thinking.”

それでは、次に変えるのは、その「人間のものの考え方」だろう
So the next, we have to change the ways how we think about "our life and death".

Experiences of Deep Consciousness / To ponder the power of splitting of an atom
Nuclear and the Humankind cannot Co-exist Nuclear Victims Forum  / 竜安寺石庭 Ryoan Temple Stones Garden 










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