Sunday, December 23, 2018


核サイトにおける「放射線測定数値」以前に考慮すべき「大きな問題」

人間は、「人間社会」から「切り離される」と、「人(ひと)」として「生きていけない」。
「人(ひと)」として「社会」に受け入れられて、はじめてヒトは「人間らしく生きられる」。

「ヒロシマの場合」(最も多く自分が「被ばく証言testimonies」にあたった地)
引き続く空爆・空襲に次ぐ、最終兵器である「核」の使用。

そこで「生き延びた人のはなし」を総合すると

「放射能の影響」はもちろん肌身で恐怖に感じているが、その恐怖は「実体験」に裏付けられた「総合的」なもの。

どれだけ「放射能」で汚染されていても、「他県へ逃げて、移り住む」選択をした人は皆無

(理由)
「ヒロシマ」を経験している、ということだけで、他県では「差別」にさらされた。
「放射能」より「差別を受ける」ほうが、人間としては「切迫した問題」だったから。

<ヒバクシャたちがヒロシマに定住していてよかったこと>
苦しかったことを、ともに経験しあったものたちが、離れずに住んでいることで、あったことを何度もかたりあったり、いたわりあったりすることで、同じ感情を共有することができ、人間の最も大事な部分を守ることが、(たぶん意図せず)できていたから。

社会からの「切られ方」が、「ヒロシマ」よりかなり厳しく、人間を「放射性物質・モノ」扱いするところなど、読んでいて「ヒロシマ」より「残酷」と思う。
被害者を受け止める器、社会的母体がほとんどない。
そうすると、被害者たちは、受け止められないまま「ヒト」としてのメンタリティーを保てなくなり、俳人化してしまう。
When it comes to size of devastated, Hiroshima may be bigger than Chernobyl, even though, humanistic point of view from reading each individual's stories, treating people as objects are too cruel in both Chernobyl & Hiroshima.
If Mother Society cannot help & accept each individuals, nobody can survive before the matter of radiation.
Each individual's mentality cannot be kept if refused by their Mother Society.

「ヒロシマ」の証言聞き取りをしながら「フクシマ」をメディアを通じて経験して

「フクシマ」の場合、どこで「切るのか」という点で、非常に切実な問題をかかえていると思う。


原発事故地でも、野生動植物は、とりあえずはそのまま「生きている」
動植物の姿は、以前より美しくも見える。
特に「植物」。

「生命」は、すべてつながりをもって、
調和して生きている。
瞬間、瞬間を
Every lives on this one planet are connected & related & changing every moment.
それを切る方が、実は「(同じ生命である)人間」にとってはきつい。
Human being's every cell is also changing as same as other animals's cells on moment & moment...

意識consciousnessを「切るdivide」のは「ことばlanguage」
ことばとは何か?what is language?」という深い思考も必要となってくる。
現在私たちが使用している「ことば」は、主に「科学分析scientific view」によるものがたり手法
でも、それでは「見えない放射能」をひたすら怖がらなければならなくなる。

また「ひろしまの個々のものがたり」や「個の病、がんの発症」は、「個のものがたり」として「人と人とのつながり、感情、情動、気持ち」を主軸に語った方が腑に落ちることが多いのは事実である。

「人間性・ヒューマニティー」を第一に、
個々がいたわりあい、自分の頭で考えられるよう、
個々が腑に落ちた決定ができるよう、
他が関心をはらい、
情動を最大限使い、
再度「人として」つながっていくのがベストな形ではないか。

ここからは、一律に「科学用語」「法律用語」だけで「切らない」ことが「重要」と思う。

大きな視点でフクシマ(水)は、個々を切らずに、世界の人々をつなげていくという意味で、世界事象の大きな折り返し点になるのでは。

1964 年東京オリンピックのランナー広島原爆の日(1945.8.6-2014.9.10)に生まれた。
(彼のメディアとの関係が示唆することは大きい)
ヒロシマにあるフクシマという名前が、
からの水による沈静」という意味があるということからも、
とても重要な意味を持つようになると思う。

東電福島事故、総理大臣として考えたこと

Unless all people in the world have happiness,
no individual happiness become true.


米国憲法(1788)
日本国憲法(1945)
The Treaty on Prohibition of Nuclear Weapons(2017.7.7)

                               

                                                                福島町FUKUSHIMAcho(旧福島川沿い)の桜 2021.3.23