Wednesday, June 21, 2017

核兵器禁止条約 イベント会議
広島・被爆者田中さん
「核兵器禁止を訴えるのは生き残ったものの務め」
“Urging to Prohibit Nuke is the Responsibility for A-bombed Survivor”
Ms.Tanaka said in NY

中国新聞 2017621

広島市東区の被爆者、田中稔子さん(78)19日、米ニューヨークの国連本部であった非政府組織(NGO)主催のイベントで72年前の体験を語った。
Ms.Tanaka talked about her own Hibaku Story at an Event Conference which was organized by NGO in NY UN

同法部で「核兵器禁止条約」の制定交渉会議が続く中
「条約締結へ、多くの国の支援を」と呼びかけた。

田中さんは、被爆者が世界各地で証言するNGOピースボート(東京)の船旅に4月から参加し、今回の会議に合わせニューヨーク入り。
6歳で被爆する前に幼稚園に通った広島市の旧中島地区(現中区の平和記念公園)は壊滅し、同級生の命が奪われたと言い、
When Ms.Tanaka was 6 years old, Hirohima was A-bombed, and everything around her were devastated, and her friends in kindergarten were died.

「禁止条約実現への訴えは、原爆から生き残ったものの務め」と力を込めた。
To pursue the responsibility to prohibit Nuke Bombs are survivors role.

各国の反核団体のメンバーらが聞き入った。

一方、交渉会議は同日、核保有国が条約に加盟する道筋を巡る議論に入った。

南アフリカが、核兵器を持ったままで参加を認める代わりに期限を設けた廃絶義務を課すという修正案を提示。

「核の傘」に頼る非保有国の加盟へも同様に依存脱却の期限を課せるような内容も含み、メキシコなどが前向きに応じた。

NGP枠で発言した長崎原爆病院の朝長名誉委員長(74) は、保有国や日本の参加を促した。

日本被団協の和田事務局次長(73)は、草案前文での被爆者への言及を歓迎し
た。

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