Thursday, August 18, 2016

プルトニウムの恐怖Terror of Plutonium

いったいどうなっている・いくのか? Actually, what is happening?

1940年代、マンハッタン計画(the Manhattan Project)という原爆開発計画には2つのルートがあった。

天然に存在するウラン235を使用するが、その濃縮作業に高度技術を要する「ウラニウム爆弾」製造というルート。(Hiroshima型原爆)

もう一つはプルトニウム239という人工原子を使用した「プルトニウム爆弾」製造というルート。(Nagasaki型原爆)


この二つのルートは同時並行に辿られ、開発当時は「至急」に製造することが最優先され、その意味や人間への影響が考慮されることは、当時なかった。

核分裂は、ウラン235を核分裂させてできる中性子によって引き起こされるが、一回の核分裂あたり2個以上の中性子が生まれ、それらの中性子でさらに連鎖反応を起き続けさせ、膨大なエネルギーを生む。
残った中性子はウラン238に吸収させ、放射性物質を変換させながら、最終的にプルトニウムを貯めていく。

これが「原子炉」の原理であり、
プルトニウム239を生産するということは、「制御された核分裂連鎖反応の装置」をつくることに帰着する


マンハッタン計画(the Manhattan Project)が始まった1942年ごろは、具体的手立ては何もわかっておらず、ただ、一部の科学者たちの直感だけで、核分裂により膨大なエネルギーが解き放たれ、兵器に結びつくことを感じ、アメリカ政府に進言され、国家プロジェクトとなった。

マンハッタン計画(the Manhattan Project)は、最初から巨大化の運命下にあった。

巨大な施設(huge facilities)が必要であるならば、巨大な富の集中(huge centering power of money)を必要としており、また原子炉施設、ウラン・プルトニウム取扱い技術、放射線データなど、全く基礎的なことを解明しながら、同時に実用化しなければならなかった。


中心になったのは、フェルミ、ベーテ、テラーなど、亡命ヨーロッパ物理科学者たちで、原子核物理、核化学、治金学など、基礎科学から技術者まで多様な人材の共同をも必要とした。


マンハッタン計画(the Manhattan Project)は、巨大な官産軍学共同であった。
そのうえに、この計画は全くの秘密裡(in secrecy)に進められなければならなかった

そのため、高度の情報管理と、中央集権的な開発システム(the center powered developing  systems)が必要であり、権力の集中も必要とした。


また、「マンハッタン計画(the Manhattan Project)」は、科学技術のありかたも一変させた。

「はやく開発すること」という「強引に頂上をめざす」やりかたがとられ、富と知と権力が総動員され、1945716日アラモゴードでプルトニウムが作り出した「きのこ雲」を眼で確かめ、科学者たちはその山登りはとりあえず成功したことを知った。

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By September, 1939, Nazi Germany had already begun a secret military program to pursue the development of fission weapons.
1939年9月、ナチ政権下ドイツはすでに秘密裡に核分裂を利用した兵器開発をおこなっていた。

 Szilard and his scientific colleagues in the United States, fearing that the Germans might develop such weapons first with catastrophic results, prepared a letter to President Roosevelt urging support for an American fission project. This letter was signed by Albert Einstein and conveyed to the American president in October, 1939.米国の科学者シラード、および同僚たちは、ドイツが先にこの兵器を使用し、壊滅的影響を与えられることを恐れ、米国も「核開発」を進めるようルーズベルト大統領に知らせることを相談し、この手紙は1939年10月、アインシュタインのサインとともに大統領に届けられた。

 (当時から)原爆開発には、大勢の科学者、技術者、労働者が従事したが、彼らには何の決定権も与えられず、またどんな目的で働いているかも知らされないまま、仕事に従事していた人がほとんどだった。

 The Allied atomic bomb program, called “the Manhattan Project”, was carried out under great secrecy in a number of laboratories and factories throughout the US. Reactor experiments at the University of Chicago in 1942 led to the construction of a gigantic plant in Hanford, Washington, operated by the Du Pont corporation, which eventually produced the plutonium used in the bomb exploded over Nagasaki.同盟側の開発は「マンハッタン計画」と呼ばれ、極秘密裡に米国中の研究所や工場で行われ、1942年シカゴ大学での原子炉実験の結果、ハンフォードやワシントンに巨大工場が建設され、デュポン社の下、ナガサキ上空でさく裂する「(人口原子)プルトニウム型原爆」が製造されるに至った。

Another huge installation in Oak Ridge, Tennessee, operated by the Union Carbide Corporation, purified the uranium-235 used in the bomb dropped on Hiroshima.一方、テネシー州オークリッジにも巨大工場が建設され、ユニオン・カーバイド社により、ウラン235原子の精製を利用した「ウラン型原爆」が製造され、(これは)ヒロシマに投下されるに至った。

 Research, design and fabrication of the bomb was carried out at a secret laboratory in Los Alamos, New Mexico, under the direction of American physicist J. Robert Oppenheimer.爆弾はすべて極秘密裡に、研究、デザイン、製造まで、ニューメキシコ州ロスアラモス研究所、オッペンハイマー所長を中心に行われた。

 The total cost of producing the first three a-bombs was about $2 billion, a project as large as the entire US automobile industry, through only a small percentage or the total cost of fighting the war.(アラモゴードでの実験用原爆も含め3個の原爆の)トータル・コストは約20兆ドルで、米国の自動車産業規模と同じ、また第二次世界大戦中800万の米軍兵士に支給された小銃類の総費用22億ドルとも大差はなかった。

 (excerpt from “A Tragedy Never to Be Repeated”)

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この、目標に向かって直登するやり方は、多くのことを切り捨てることでもあった。

労働者の安全や、環境に対する放射能の影響、「核」の持つ社会的意味、などほとんどのものを「切り捨て」て、この技術は、前に進んだ。


プルトニウムの人体への影響などについても、それらは2次的なことであり、必要とあればプルトニウムを人体に注射してみるといった、極端なやりかたが行われた。

基本的に、同じやり方が「原子力平和利用」にも適応され、
核からエネルギーを引き出し、産業化させることにも、「成功」することが「至上命令」とされ、富と力と知が集中された。

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原子力発電の原理は決して難しいものではない。

燃料としてウランを用い、ウラン235の起こす核分裂時に放出されるエネルギーを熱に変え、水蒸気を発生させてタービンをまわし、発電する。

基本、火力発電と同じやり方を、ウランを燃やす(核分裂させる)だけの違いであるが、問題は、その分裂の制御に高度で複雑な技術が必要となるとともに、燃えカスとして、膨大な量の放射性物質が生成され、それを原子炉内にかかえたまま運転を続けなければならない。

原子力論争の、その論争のゆえんは、なんといっても、その「放射能」の存在にある。

100万キロワット級の原発一基が一年間に出す放射能は、2030億キュリーで、これは、広島原爆がまき散らした「死の灰(放射能)」の約1000倍。
私たちひとりひとりの身体に対する許容量のおよそ2000兆倍にも相当する桁はずれの毒性をもった量である。


【原子力発電の原子炉大事故は、どんな過程で起こるのか】

最も典型的な事故経過として考えられるのは、原子炉の空焚き事故である。

原子炉では、水がきわめて重要な役割を果たすが、冷却水が失われると、お釜(圧力容器)は空焚き状態になり、熱によって水は水蒸気となり、それが破断口から吹き出し、空焚きはさらに進行する。と同時に、燃料棒は冷却水を失って、崩壊熱による温度上昇を始め、被覆管のジルコニウムは蒸気と反応して酸化し、この反応が水素を発生させ、反応熱はさらに温度上昇をうながす。


こうして、事故発生後、数分―数十分後には、炉心燃料は溶けはじめ、原子炉の底に崩れ落ちるという決定的瞬間が「メルトダウン」である。

メルトダウンが起きたときに、水蒸気爆発、水素爆発など様々な爆発現象が起きるだろうし、チャイナシンドロームなどの現象による、環境への大量放射能漏れは避けられない。


198167日、イスラエル空軍機によるイラク原子炉爆破のニュースは、世界中を電撃のように走った。

この事件は、核社会の現実を明るみに出した。


ひとつには、原子力開発という名において、核拡散が進んでいるという現実。

また、そのテンポのはやさと、それをめぐる緊張の厳しさも、この事件は改めて教えてくれた。


もうひとつは、通常兵器の攻撃をも、私たちの世界はすぐに「核戦争」の様相を呈する。

原子炉が爆破されれば、確実にそれは出現する。

冷却水に破断が生じ、停電が重なったら、メルトダウンは避けられないし、廃棄物施設や再処理工場が(通常兵器に)狙われても同じである。

原子炉が破壊され、放射能がまき散らされれば、それは国全体や世界を襲うことになり、これほど過酷な事態はないだろう。


原子力開発が原爆製造計画としてはじまり、原子力潜水艦や、核兵器技術の発展と密接に一体のものとして進んできた以上、商業利用が核拡散を促す可能性は、歴史とともに存在してきた。


核兵器に、濃縮ウランを使うにせよ、プルトニウムを使うにせよ、技術基盤は「平和利用」と同じであり、商業利用のほうが、高度な制御技術を必要とするならば、

技術が「平和利用」から「軍事利用」に流れるのは、水が高きから低きに流れると同じである。


1974年インドで行われた核実験には、カナダから導入されたCIRUS炉でつくられたプルトニウムが使用されており、「平和利用」の名目で製造された原子炉と、小さな再処理施設で抽出された核物質が兵器になりうることを、インドは立証してみせた。


すでに、世界の核兵器庫には、世界中の人間を何回でも繰り返して殺せるだけの核兵器が蓄えられている。


その能力をさらに飛躍的に増やし、ミサイルの命中精度を高めるような科学技術の開発に、いまも大きな努力が費やされている。


また、一旦生産されたプルトニウムは、消え去ることもなく、処分することもできない。
永遠に管理し続けなくてはならないのである。


核拡散の源は、原子力の平和利用と無関係とは全くいえず、「平和利用」の名の元に研究開発進展し、核兵器の高性能化・多様化に技術的基盤を与えている。


中性子爆弾の開発などは、全体の核開発発展によって可能となった典型的な例だろう。


第三世界に拡散をうながしているのも、先進国の原子力輸出商戦である。


原子力技術は、そもそもの歴史から、暗く厚い秘密裡(in secrecy)の壁の内側で育ってきた技術なのである。
19819月「プルトニウムの恐怖」 高木仁三郎より

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