Tuesday, March 21, 2017

肥田舜太郎医師 死去 100歳
被団協顧問 被爆者治療に尽力
Dr. Hida passed away.
In his age of 100, on March 20th(spring equinox) 2017,
after uncountable endeavors to  assist Hibakusha
                                  

中国新聞 2017年3月21日

広島で自らも被爆し、被爆者の治療を続けてきた医師で、日本被団協顧問の肥田舜太郎氏が20日午前8時2分、肺炎のため埼玉県川口市の埼玉協同病院で死去した。

100歳。岐阜出身。

1945年8月6日の原爆投下当時、軍医として広島に赴任しており、爆心地の北約6キロ地点にいた。

その直後に市内に入り、焼けただれてさまよう人らを救助するとともに、治療に当たった。

その後も、白血病などの後遺症に苦しむ被爆者たちにも寄り添い続けたほか、内部被ばくによって体がだるくなる症状を「ぶらぶら病」と呼び、危険性を指摘した。

「広島と長崎は今も生き地獄を見せて世界に警告している。真実を伝えるのが被爆者の使命だ」として、1975年に初めて原爆を投下した米国を訪問。

1989年までの15年間で30か国以上、150都市以上を
「草の根の反核語り部」として駆け巡り、原爆の悲惨さを訴えた。

原爆症認定訴訟では、原爆投下後に広島・長崎市内に入った被爆者について、ほこりなどを吸い、体内に入る放射性物質による内部被ばくの影響について証言をした。

2011年発生した東日本大震災による東京電力福島第一原発事故でも内部被ばくの脅威を訴えた。

2013年に都内で脱原発を求める集会に参加するなど、被ばく者治療の傍ら、核廃絶を求める発言を続けた。

元軍医で被ばく者医療に尽力してきた肥田舜太郎さんの訃報が伝えられた20日、ゆかりの人たちに悲しみが広がった。

「被ばく者支援に関わるものにとって精神的な支えだった。」

原爆症認定訴訟の支援を通じて十数年の親交がある広島県被団協(佐久間邦彦理事長)の大越和郎事務局長(76)は残念がった。
「肥田さんは2009年に一線を退くまで約6000人の診察に当たったという。常に被爆者の立場に立つ人だった。もっと教わることがあったはずなのに」

日本被団協の田中てるみ事務局長(84・埼玉県新座市)は、1月にあった肥田さんの100歳を祝う会合に出席したという。
「すごくお元気で大変喜んでおられた。『100歳は通過点』とも言っていた。」と振り返る。

もう一つの広島県被団協(坪井直理事長)の、ちまき智之副理事長(75)は、「核兵器禁止条約」の制定交渉会議が27日から国連で始まることに触れ、

「ご経験を基に『核と人間は共存できない』と長年、訴えてこられた。まだまだ私たちに助言してほしかった」と語った。

(3月22日 「天風録」)
体調が悪く苦しいのに人にわかってもらえなければ、誰しもつらい。
心まで病むかもしれない。
被爆者の中にも、だるくて動けない人々がいた。
原爆投下から何年も経ち、直接ピカにあっていない人まで・・。
「ぶらぶら病」。
誰とはなしにそう呼んだ。
怠け者扱いは悔しかったろう。
苦しみに心寄せたのが医師、肥田舜太郎さん。
自身も広島で被爆したあの日から被爆者の治療や救済に尽くし、100歳で亡くなる。
被爆直後、なすすべもなく大勢をみとった。
ぶらぶら病も原因さえわからない。
ある患者は診察中に頬杖をつき、やがて床に座り、しまいには横になった。
異常ではない「だるさ」と知るが治療法もない。
寄り添うしかなかった。
原爆投下後に入市して吸い込んだほこりによる内部被ばくが原因と知ったのは30年後。
放射性物質が長く体をむしばむのだ。
以来、欧米30か国以上を行脚して核廃絶を訴えた。
「誰も放射線をコントロールできない」と。

福島第一原発事故の発生時には94歳。
ぶらぶら病の発症を心配して、最晩年まで老いた身に鞭打って各地で訴え続けた。

「原子力は人間が扱える代物ではない」

遺言としてかみしめたい。

Wednesday, March 8, 2017

「核実験」ー被害隠しに光を」ー

中国新聞  2017年3月8日

「息子は2度被曝しました」
長崎原爆による「被爆」と、ビキニ水爆実験による「被曝」の二十苦から、27歳で自殺した青年がいた。

1954年3月~5月、米国が太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験。
船員23人が被曝した静岡県焼津市のマグロ漁船「第5福竜丸」の悲劇は世界に衝撃を与えた。

しかし、その青年が乗っていたのは高知のマグロ漁船という。
青年の母親の証言が、元教師山下正寿さん(72)のビキニ被曝を巡る、長い闘いの始まりだった。

85年春、高知県宿毛市の高校社会科を教えていた山下さんは、県西部で平和学習を行うゼミの顧問もしていた。

その年の課題は、広島・長崎への原爆投下40年。
有志の高校生とともに、地域の被曝者を調べる過程で、次男節弥さんを2度の核被害で亡くした藤井馬さんと出会う。

節弥さんは45年8月9日、長崎で馬さん、姉と被爆。
その後、馬さんの故郷、宿毛市に戻り、家計を支えようと乗り込んだ漁船で複数回、水爆実験に遭遇したとみられる。

「第5福竜丸以外の船が被曝?」
衝撃を受けた山下さんと高校生はその後5年間で、元船員約240人に聞き取り調査を実施する。

その結果「きのこ雲を見た」「白い灰を浴びた」など数々の証言とともに、ビキニ周辺で操業した元船員が若い年齢でガンを患ったり、早世したりしていることが次第に明らかになってきた。
「これほどの被害がありながら、なぜ国は何もしていないのか」

ビキニ実験後の54年3~12月、日本政府が周辺にいた船を対象に実施した放射能検査により、東京など18港で800隻を超える船が500トン近い汚染魚を廃棄した。
その約3分の1が高知船籍と言われる。

32年間、ほとんど手弁当で調査を続けてきた山下さん。
「僕は猟師の生まれだから」
胸中には、猟師への思いがある。

山下さんの両親は、宿毛市片島と大分県佐伯市を結ぶフェリー乗り場近くで雑貨店を営んでいた。
山下さんが幼いころ、マグロ漁船の猟師が出港前によく駄菓子をまとめ買いに来た。
「猟師には、ほんとうにかわいがってもらった」と笑みをこぼす。

だからこそ、ビキニ実験後、彼らに起きた異変を覚えている。
首元に突然大きなこぶができた人、声が出なくなった人、「子供ながらに、これはおかしいと思った。
その答えを、山下さんは教師になり自身の調査で見つけることに。

85年当初から、山下さんと活動を共にしてきた、高知県四万十の元教師、上岡橋平さん(67)は「八方ふさがりになっても、山下さんから『これ以上の調査は止めよう』なんて言葉は聞いたことがない。」と振り返る。

高校生との調査が一段落した後も、山下さんはほぼ一人で聞き取りを続けていた。
「怒りでしょうね。こんなことは絶対許せないという憤り。その想いが人の何倍も強い。」

山下さんや報道機関の度重なる求めに応じて、厚生労働省が述べ556隻分の被曝を裏付ける資料を開示したのは2014年9月。
実験から60年もの歳月が流れていた。

この間、多くの元船員が亡くなったが、偏見を恐れ、何も語らず世を去ったものも少なくない。

「知る権利とか、生存権とか、国が守るべき権利を、むしろ国が妨害した。棄民にしたんです。」
ようやく手にした証拠の数々。

元船員や遺族ら45人は16年5月、被曝に関する証拠資料を政府が開示しなかった結果、米国への賠償請求の機会を奪われたなどとして、ビキニ実験を巡っては初の国家賠償請求訴訟を高知地裁に起こした。

「放射能さえ浴びなければ・・」

原告の一人、高知県土佐清水市の元船員谷脇寿和さん(82)は30代で肝臓を悪くし、15年には肝臓と胃のがんで手術を受けた。
「働き盛りのころ、治療費で生活は苦しかった。しんどかった気持ちを国にわかってほしい。」と訴える。

山下さんも、国が度重なる開示請求に資料を隠し続け、精神的損害を受けたとして、原告に加わった。
16年7月1日の第一回口頭弁論では「国による核被害隠しに光を当てる司法判断をお願いししたい」と意見陳述した。

10月13日の第2回口頭弁論。
1986年に、政府が第5福竜丸以外の船の被曝について「資料は見つからない」と国会で答弁したことを巡り、国側は当時情報公開法もなく、知る権利は「抽象的な権利」と主張した。

原告側は「当時も公文書閲覧窓口の制度があった」と反論。

今後も国が故意に資料を隠してきたことの立証を続ける。

「奪われたマグロ漁民の尊厳を取り戻したい」と山下さん。

これが最後のチャンスだと考えている。

山下氏TPNW実現訴え / A Co-incidental Destiny of Japanese Go-En / 

Saturday, February 25, 2017

Nuclear Threats in a Chaotic World
混沌とした現代世界における「核の脅威」


William Perry, former Defense Secretary, will talk to a LAWAC dinner on February 23rd about the escalating danger of nuclear conflict in today’s chaotic world – dangers that are more urgent than most Americans realize.
この2月23日、米国務長官職等を歴任してきたウイリアム・ペリー氏が、講演会を開催し、「今日の混沌とした世界における、迫りくる『核の危機』は、ほとんどの米国人が認識していないほどに『差し迫ったものである』」ことを語ります。

Vladimir Putin has begun upgrading Russia’s nuclear arsenal and last year stationed nuclear missiles on the borders of Poland and Lithuania.
現ロシアのプーチン大統領は、すでに核兵器を新鋭化しはじめており、昨年は核ミサイルをポーランドとリトアニアとの国境線に配備しました。

North Korean dictator Kim Jong Un has conducted two nuclear tests in the past year, and his scientists are working on a long-range ICBM missile that could reach Los Angeles.
北朝鮮の現金独裁政権は、昨年2回の核実験を行使し、彼の下で働いている科学者たちの多くは長距離弾道ミサイルをも現在手掛けており、もはやその飛距離はロサンゼルスにまで達します。

ISIS made four attempts between 2010 and 2015 to buy radioactive materials from Russian underworld gangs, according to the FBI, and other jihadist groups show continued interest in obtaining a nuclear bomb.
FBIの捜査によると、(国際テロ組織といわれる)ISISは、2010年から2015年の間、核物質をロシアの地下組織から4度購入しようと試みており、他のジハード(聖戦)組織も核爆弾を取得しようと継続的に試みていることが調査されています。

Perry says “I believe that the likelihood of a nuclear catastrophe is greater today than it was during the Cold War.”
ペリー氏は「核惨事が起こる可能性は、冷戦時よりも現在のほうが格段に大きい」と語ります。

Perry has joined with veteran statesmen Henry Kissinger and George Shultz to highlight a growing threat that most people assumed had disappeared after the collapse of communism, but could in an instant change the face of the planet forever.
また、ペリー氏はジョージ・シュルツ氏らとともに、冷戦とともに無くなってしまったと思われ、ほとんどの人が認識していない現在の「核の脅威」に焦点をあて、もし核の連鎖反応がこの地上で起これば、ほとんどの人間がその影響を免れず、私たちの社会文明は喪失され、この地球という星(ほし)事態を永遠に変えてしまう、とも語ります。

Perry’s commitment to reducing the nuclear threat goes back to his days in the US Army when he served in postwar-occupied Japan, where he saw the results of the devastation of nuclear weapons.
ペリー氏の「核」に対する直接的な体験は、氏が18歳の時に軍に携わっていて、日本に配属され、その敗戦の様子を肌身で感じたことにさかのぼり、当時、核兵器がどのような破壊的結果をもたらしたのかをその目で見たことからでした。

Later in life when he became Secretary of Defense under President Bill Clinton in 1994 he would preside over the destruction of more than 8000 nuclear weapons with the Russians.
その後、1994年ペリー氏はクリントン政権時の国務長官となり、当時ロシアとともに8000弾頭の核兵器削減に取り組みました。

Perry is a mathematician and engineer by training, and currently is a professor emeritus at Stanford with a joint appointment at the Freeman Spogli Institute for International Studies and the School of Engineering.
ペリー氏は、数学と工学を専攻し、現在はスタンフォード大学名誉教授などの職に携わっています。

He has worked in defense and international relations for seven decades.
70年という長期にわたり、米国において国防と国際関係問題に関わってきた人物です。

He was brought in as an analyst during the Cuban missile crisis, was an undersecretary of defense for research and engineering during the Carter administration, and served on President Reagan’s Commission on Strategic Forces.
(世界最大の核危機といわれた)「キューバ危機(1972)」の時には、その分析に携わり、カーター政権時には国務省での調査・及びエンジニアの職にあり、またレーガン政権時には戦略委員に携わっていました。

He is the author of “My Journey at the Nuclear Brink(2015)”
彼が最近著して、出版したのが「核の淵の旅路(2015年初版)」です。

He received his BS and MA from Stanford and his Phd in mathematics from Pennsylvania State University.
ペリー氏は、スタンフォード大からはBS及びMAの学位、ペンシルバニア大学からは数学におけるPhdが授与されています。



Saturday, February 18, 2017

マーシャルの訴え こじ開けたい廃絶の扉

Bikini ビキニ


Hibak中国新聞 2016年2月18日


米国やロシアは国際法上の核軍縮義務に違反しているのではないか

マーシャル諸島Marshal Islandsは2014年、核兵器保有9か国を相手取ってオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、国際社会にそう問うた。

2014/4/24

「核兵器廃絶は、政治や倫理だけでなく『健全さ』の問題でもある。
"Nuclear Weapons are not only about politics and ethics but also the matter of 'Mental Health'”, said Tony De Brum.

外相として訴訟を主導したトニー・デブルム氏(72)は先月、首都マジュロのホテルで中国新聞の取材に答えた。

訴訟は、裁判に応じる義務がある英国、インド、パキスタンに相手国が絞られたうえICJは2016年10月5日に核軍縮を巡る法的争いはないという3か国の主張を認定。

実質的に審理に入らず、裁判は終わった。

ただ、「訴えの内容までは否定していない」とデブルム氏。

「核拡散防止条約(NPT)に加盟する英国の主張を巡っては判事16人の賛否が同数で「核兵器をめぐるきわどいせめぎ合いがある。」(国際反核法律家協会の佐々木共同会長)との受け止めも。

デブルム氏は先月、米シンクタンク軍備管理協会から19年の「軍縮のひと」に選ばれ、小国の勇気をたたえられた。

一方で、約5万人の国民の世論が必ずしも核兵器禁止へ盛り上がっているわけではない。

広大な海に点在する島で暮らす国民性からか「家族や島など小さな単位での利害が先行し、核兵器廃絶という大きな主張は広がりにくい」と地元紙マーシャル・アイランド・ジャーナルのギフ・ジョンソン編集長(60)は言う。

1954年3月1日のビキニ環礁での水爆実験で住民が被曝し、移住生活が続くロンゲラップ環礁自治体のジェームズ・マタヨシ首長(48)は
「核兵器廃絶を訴えるのは自治体ではなく、国の仕事だ。」
と、核問題は国に任せ、元住民の帰島を目指して魚の養殖などの産業振興に邁進する。

国民の関心を高めようと、政府は3月1日の核実験被害の追悼記念日に合わせ
「核の遺産 正義への道筋」と題した国際会議を開く。

世界各国から専門家たちをまねき「広島Hiroshima長崎Nagasakiから続く核被害の広がり continuous disasters of nuclear expansion」について議論を深める。


ICJの「門前払い」からほどなく2016年10月27日の国連総会第一委員会(軍縮)。
「『核兵器禁止条約(TPNW)制定交渉』を2017年3月に始める」とする決議案にマーシャル諸島は賛成した。

段階的な核軍縮策を主張する米国が猛反発する事態にあっても、
被爆国として、国家財政の約5割に当たる経済援助を受けるその「スポンサー」に抗った形だ。

ビルダ・ハイネ大統領やジョン・シルク外相は
「核問題への関わりを強める」
「米国に正義を求める」
といった発言を公の場で重ねている。

米国から遠く、人口も少ない島国ゆえに、核実験場とされたマーシャル諸島。

デブルム氏は
「核兵器がもたらす人道上の結末 the catastrophic humanitarian consequencesは決して正当化されないshould never be justified.」
との姿勢を貫く。

「核兵器なき世界の実現には日本のリーダーシップが欠かせない。行動してほしい。」

廃絶への扉に手を掛けるのか背を向けるのか。

被爆国の姿勢を注視している。

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【米議会:マーシャル諸島における米核実験についての証言】

@RepKatiePorter(20210627)

Should I mark the 75th anniversary of the first US nuclear tests in the Marshall Islands, tragedy that continuous today.

Orange county is proud to be home as one of the oldest Marshallee-American community.

But Why the Marshallees came to United States?  Disgraceful chapter in our nation’s history.

From 1946th to 1958, United States conducted 67 nucleartests in Marshiall Islands.


  (time laps map of every nuclear explosions)

We deceived the Marshallees, using them as guinea-pigs to study the effects of radiation.

We turned the ancestral lands into dumping ground for nuclear wastes.

And we still haven’t done the bare minimum to make this right.

We established their tribunal compensation but provided less than 10 % of money owed.

We don’t even translate environmental studies into Marshallees

Our nuclear legacy in the Marshall Islands is at the nexus of the President Biden’s top priorities.

“Racial Justice”, “Healthcare”, “Climate Change” “US Global Reputation”, “Countering China to Diplomacy”.

We must commit across the party lines to make this right. / @nuclear age peace fn(20210904)

Danity Laukon
Nuclear and the Humankind cannot Co-exist / Nuclear Victims Forum  / 竜安寺石庭 Ryoan Temple Stones Garden 



Thursday, January 19, 2017

北朝鮮にて 「非核化へ」 草の根で対話
A Hiroshima Student exchanges opinions about N.Bombs with a North Korean Student in her country DPRK

中国新聞 2017年1月19日

「我が国(北朝鮮)の核武装をどう思いますか?」

広島市立大(安佐南区)国際学部2年の堀川光生さん(20)は、昨夏に学生交流で出会った北朝鮮の女子大生「ギョンアさん」と交わした会話が忘れられない。

2003年、核拡散防止条約(NPT)からの「脱退」を宣言した北朝鮮は、2016年の2回を含め計5回の核実験を強行した。

安全保障に関心があり「現場を知りたい」と思っていた堀川さんは、子供たちの絵のやりとりを通じて北朝鮮側との関係を築く市民団体「南北コリアと日本のともだち展実行委員会」(東京)の交流事業に応募。

昨年8月23日―29日に、東京などの学生7人と共に中国経由で首都の平壌を訪れた。

現地では平壌外語大で日本語を学ぶ学生11人と一緒に遊園地と動物園を巡った。

広島で平和学習を続けてきた堀川さんは、原爆被害を話すつもりでいた。

その機会は、朝鮮戦争に関する「祖国解放戦争勝利記念館」との行き来のバスでやってきた。

隣の席のギョンアさんから日本語で北朝鮮の「核武装」の受け止めを問われ、「核兵器をなくそうとする国際社会の潮流に逆行しよくない」と素直に答えた。

しばし沈黙ののち、「広島の惨状を知っている。我が国に使われないよう、鉄壁の守りを固めたい。」との答えが返ってきた。

聞けば、広島の被爆を扱ったドキュメンタリーを見たことがあるという。

堀川さんは「北朝鮮の学生が原爆被害を切りだすのは意外だった」と振り返る。


だが、せっかくの被害への認識は、今のところ核超大国の米国に抱く「脅威」と、自国の核保有の肯定につながっているように思えた。

核を使わせないため、核を持つ。

この抑止の論理は、米国やその「核の傘」に入る日本や韓国にも通じる。

そのため、北朝鮮だけに核放棄を迫るのは説得力を欠く。

一部の専門家や政治家は、北東アジアで米ロ中が核を使わないと約束し、日韓と北朝鮮は持たないと宣言する「非核地帯化」を提案する。

一方、日本の外務省は、北朝鮮の核放棄が先決の姿勢だ。

昨夏の訪朝で、堀川さんは、核保有が新たな核保有をまねくジレンマを改めて感じた。

「学生から、核武装は『家族や大事な人を傷つけられたくないから』との声を聞いた。」

核・ミサイル開発を誇示する北朝鮮の国営放送などから想像していた米国、日本への好戦的な姿勢とは少し違った印象を受けた。

被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんがモデルの「原爆の子の像」の話をすると学生たちが涙を浮かべ、「原爆は怖い」との感想も聞けた。

子供たちの凧揚げ、結婚式・・・。

日本のニュースではあまり伝えられない同じ人間の営みをスマートフォンで写した。

「考えに隔たりはあるけど、対話を進めるため、現地の若者の声を身近な人から伝えたい」

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推計によると、昨年1月時点で核兵器10発を保有される北朝鮮。

北朝鮮は、同10月の国連総会第一委員会(軍縮)では、「核兵器禁止条約」の交渉開始決議案に賛成票を投じた。 →以降、会議直前(2017年3月)に欠席届けを提出

Monday, January 16, 2017

台湾の脱原発

中国新聞 2017年1月16日 社説

台湾が、2025年までに「原発ゼロ」を目指すことを決めた。

現在3か所に6基ある原子炉は、順次廃炉とする方針だ。

脱原発の流れは、欧州で広がりつつあるが、台湾で実現すれば、アジアでは初めてとなる。

台湾は資源に乏しく、地震が多い地域である。
日本と似た環境でありながら、いち早く脱原発を決めた動きに注目したい。

台湾で原発は、発電容量の16%を占める。
計画では、再生エネルギーの割合を現在の4%から、25年までに20%引き上げて、原発の代替とする。

離島で太陽光発電や風力発電を積極的に進め、改訂に送電線を敷いて電力を送る計画もあるという。

再生可能エネルギーの普及がスムーズに進むかどうかは予断を許さない。
技術的な課題も残されていよう。
電気料金の値上がりを不安視する声もある。

それでも脱原発を決めたのは、東京電力福島第一原発の事故を教訓としようとする民意があったからにほかならない。

想定外の事態で事故が起きれば、放射性物質は広い範囲を汚染し、将来の世代にも影響を及ぼしかねない。

原発の根源的なリスクを直視し、多くの市民が「ノー」を突きつけて大規模なデモを展開した結果であろう。

また民意に呼応した政治の動きも大きな原動力となった。
昨年1月の総選挙では、民主進歩党(民進党)が「原発のない郷土」を公約に掲げて当選し、対する国民党も脱原発を支持してきた。

こうした民意を重んじる政治の力が、今回の流れを確固たるものとしたと言える。

Nuclear and the Humankind cannot Co-exist / Nuclear Victims Forum  / 竜安寺石庭 Ryoan Temple Stones Garden 

谷口さん 最後の運動を覚悟しMr.Taniguchi's last activity,
「ヒバクシャ署名hibakusha alleal 」 
“hibakusha appeal ”
Mr. Taniguchi participates in the activity,
with strong WILL,  “This might be the Last”
中国新聞2017年1月16日

16歳で原爆に容赦なく焼かれ、皮下脂肪と汗腺を失った背中は瘢痕という薄い膜が覆う。

大きく息を吸うと痛み、冷気が身体に一層しみいる。

その体を押して、長崎原爆飛散者協議会の谷口すみてる会長(87)は先月26日、寒風吹く長崎市の繁華街に立った。

マイクを通してもかすれる声を絞りだす。

集めていたのは、
党派を越えて核兵器を禁止廃絶する条約の締結を各国に迫る「ヒバクシャ署名」。

被爆者の全国組織「日本被団協」の提唱で、2015年4月に開始。

被爆75年の20年までに数億筆を目指す。

長崎では、被災協など被爆者5団体が「県民の会」を結成。毎月26日の街頭署名と自治体への協力要請を続ける。

谷口さんは入退院を繰り返しながら、先頭に立つ。
Mr. Taniguchi, sometimes being hospitalized  due to deteriorating his body condition, even though he has strong WILL to be at the top of this activity to express “Anti- Nuclear”

長崎市の田上富久市長も、谷口さんの直談判を受け、先月参加した。
Last month, he  directly asked Nagasaki Mayor Taue to join this activity.

長崎県内の市長で庁舎への著名箱設置や広報誌でのPR、首長の著名が広がる。

「禁止条約のためなら、はってでも出向きたい。生きてる者の使命だから」。

民間の連携は被爆地広島の先を行く。

1954年、米国の水爆実験で第5福竜丸が被曝したビキニ事件を機に、原水爆禁止署名が国民的運動として広がり、1年余りで原水禁運動が分裂後も地道に3千万筆超に。それが1956年、日本被団協結成につながった。

60年代にソ連の核実験をめぐり、原水禁運動が分裂後も地道に署名集めや核実験抗議の座り込みを続けた。

「焼けた背中」の写真を手に証言も。

1982年には国連軍縮特別総会に伴う被爆者たちの渡米団に加わり、世界約1億筆の反核署名を届けた。

署名を力に世界への訴えを続けたが、運動を支えた仲間は次々と逝った。

1982年の国連軍縮特別総会での演説で「ノーモア・ヒバクシャ」と訴えた山口さんは2013年に82歳で死去。

共に座り込んできた谷口さんの妻、栄子さんも、2016年4月に亡くなった。

「原爆で生きるか死ぬかした人間の話(はなし)から、条約がなぜ要るのか多くの人にわかってほしい。」

被爆者としての「最後の運動」として、今回の国際署名にかけている。

Mr.Taniguchi passed away in his age of 88