Monday, January 8, 2018


いったいどうなっている・いくのか?
Actually what is happening?

だれでも、人間というからには、ほとんどの「ヒト」が「言語・ことば」を使って思考しているから「人間」だと思っている。

そして「言語・数」に優れた文明が、この数千年間、いままできらびやかに「勝ってきた」。
(そこには、必ず「領土・土性」というものが付随しているのに気が付く。どの戦争をみても、実は勝っているのは「よい土もち」のほうであった。)

けれども、もはや、いままでその「勝ってきた手法(領土占有・支配願望)」が行き過ぎ「過度な邪気的手法」になってきている。

「達成したい」という目標が「暗黙下」におかれ、決して表にでることがないのならば、
その目標は、大衆の目下にさらされる機会もなく、達成されることもなくなってしまうだろう。

「ことば・言語」思考というのは、
他の動物たちが行っている「直感・本能行動」よりかなり「遅い」。

ことばに依存しない動物たちが、地震などの自然災害で「逃げ遅れて大量死」というのは
あまり見たり、聞いたりしないだろう。
彼らは「直感と察し」で、自然波動で起こる大災害などの折りにも、もはやその場を大体離れている。

現在起こっている現象も、人間が「言語・ことば」を、それだけを、あまりにも頼りにして追って、「技術を発達させてきた」がために起こっている。

人間が、「非言語でお互いに交流する期間」というのは「子育て初期の数年」だけである。

だから、いままで慣れ親しんできた言語界で、
本質的なものは変化しないのではないか?

「モラル心」というのは生きているのであればだれでも持っている。
「生きていること自体」が、「モラルによって精神的に支えられている」ことであり、
それなしに、個体が生きることは不可能なのだから。

だから、だれでもとんでもない「モラル違反」をしてしまうと、
「ドきっ!」と反射反応をするようになっている。
そしてそれが嵩じると、「(より)隠れる」「(より)文脈破綻」していく。
そして自らを、無意識に「見えなく」もしてしまう・・・。

「平和」というのは
競争を好んで行ってきた者たちにとっては、
実はまだまだ「全(まった)き敵」である。

「モラル」に反するから口には出さないだけで、
彼等はいまだ、何を犠牲にしても[「瓦をきそいあい」「トロフィーを掲げ上げたい」執念におわれている。
けれども、その余地も、表面上だけで、底辺にはもはやほぼなくなっている。



「種」の一番下の低音の「ホント・ド」をかき消してしまおうと、あまりにも大勢近寄って、もはや「真正ド」に引き込まれ、第3者には見分けもつかなくなっている。

「偽ド」があまりにも鳴るので、「真正ド」がなくなるということは
「下・低・地」の場合、ない。

「言語」だけで考えると、「離れている」ように思えるが、意識は自分種の個体同士とも他種ともそれこそ、無意識下・細胞レベルで「(生物の細胞年齢と月の年齢は同じで)45億年」という時間をかけて「延々と」つながってきている。

プルトニウムという「人工原子」で核爆弾をつくり、小倉をめざしたけど、雲が出てきて長崎に変更した、というのは、当時の人間の意識上にあがってきたことだけれども、

そこが、キリスト教が、500年前、航海技術で日本にやってきて「禁止され」、数百年の時間をかけ、それでもその信者たちが信仰を持ち続け、そのため江戸時代に抑圧の地となった「浦上」という「地勢だった」というのは、
「必然(人間の意識上にあがるもの」をはるかにこえる、種としての集合(無)意識脈の流れに存在する「『縁(えん)』という自然の必然」だった。

あまりにもひどい悪意をもってしまっている「個体」は、そのもっている悪意のひどさに自らで自らがやられるか、彼等もいっしょになって「ドとして鳴る」という現象になると思う。

現象として、『反作用』の力」となって、ここから働くと思っている


一時代前の独裁政権は「焚書(ことば禁じ)」をおこなった。
限られた「地勢・トポス」の独裁政権は必ずそれを行う。
(自分の「言い分」にたてつくものは許しがたいので・・。)。

「焚書下」では、独裁をしくものは、とりあえずは「堂々」としており、反抗しようとするものたちが、(隠れキリシタンのように)地下へもぐった。

要は「独裁政権」も、下で人々が虐殺されたり、逃げたり潜ったりする「地「」が他にあったから、その脇や下の「地」があることによって「ウエ」は成り立ってきたのである。

「地」が実質上ないのに「意識・イマジネーション内)」だけで、「(核による)支配」を目指してしまうと、形勢が逆転してしまう。
Actually there is no room, but if  dictators and their huge followers want to expand their imaginative lands for destroy, their power of imagination would transfer to each individual's minds and bodies as being reflected by power of "emotion". Human kinds' have been using languages to expand the huge rooms and powers of "imagination". And one cell of human body is as same as the moon's years old (4.5 billion years old...)......Names are only  tiny parts of that huge.

「核」というのは、「破壊力」が大きすぎるので、その「破壊したい気(意識)」を請け負うのは、地球の「地」ではなく、個々の身体や意識という「地(身体・血)」に移動していく。

人間の「意識域」というのは、「ことば・イデア」というものが持つ「キャパ」が広大なぶんだけ、イマジネーションも「巨大なキャパ」を持っている。


青い地球を見たユング
Jung watched  whole the Earth in his dream

まわりに認められない、悪いことをしていると思うと、自然と声をひそめるのが人間だろう。
Like you want do something evils and out of moral, naturally your voice tone  will getting lower and lower.

トップバッターの米国の一部を除き、先進国であれば「核開発」はほとんどがしており、
どの国にも、その産業に携わっているものも大勢いるが、「何をやっているかを隠す・ごまかす」のが、「アトムズフォーピース」以来、「金融・メディアの使命」のように見うけられる

けれども、「(ダーウインの)種の保存法則」の基盤でもある「自然・カミ」の裁断は、実際「大量の同種の生命」を損なうほどの「モラル違反」をしているものたちに対して、落ちるようになっているのだと思う。

だから「人類種全体」を「モラル違反」の状態にすることはできない

「永遠の『いのち』」もないし、「永遠の『種の存続』」もない。

本当に「永遠」があったとしたら、意識上では
「永遠=あたりまえ=ありがたくもなんともない」と実際はなっていく。

すべての「種」が経過する「栄枯盛衰」を、同じように人類も踏襲すると思う。
いちおう、ひとつしかない、限られた「地」である「地球」に生息する「動物種の一種」なのだから・・。

「ヒロシマ・ナガサキ」後に、
核に関するホントではあるけれども衝撃的なネガティブ情報は
できるだけ表にださないよう、四方八方画策された。

民衆ではなく、体制側の方が「秘密・隠密」にしなければならない部分が多くなった、
という意味で、
「ヒロシマ・ナガサキ」は「人間種の集合意識上」や「モラル」という意味でも、ひとつのターニング・ポイントとなった。

From Hiroshima and Nagasaki, not the citizens side but authorities side had to hide many things and became secrecy and should do many things at underground, so in terms of “moral”, Hiroshima and Nagasaki became the beginning of turning point, because the side went underground became opposite from this point.

「フクシマ」後は、その「逆転現象」の形態が、まさにそうなっている。
Fukushima  became the right point of all of us for turning around as one spices.


そうすると、人類種全体の意識脈における「ホントの『ド(土)』の音という主音」は、下から「海から陸へと」(45億年かけて)つながってきている「生物種すべてのつながり」として続いてきているもので、まず消えないので、破壊目的でくる「ホントのド(土)」を消そうとする力は、そのまま、地球の「地動・地勢がもっている力」と、人類種の「種のセンター底」に反射される。

人類種の「センター底」のメタファーは『カメ』
Center metaphor of human species is tortoise

どの国でも、「ものがたり」や「夢」に出てくる、種のセンターは、
「『カメ』:広島平和公園にある朝鮮半島人犠牲者慰霊碑のように『センター底=亀』」という普遍共通意識がある。

その「センター底」に必ず反射され、「対抗作用・反作用現象」を起こす。


「カメ」が象徴すること
What is the metaphor of 'tortoise?'


大枠では全員がこの星によって「(多くの被ばく者さんが語るように)考えさせられ」「(ものがたりを)生かされている」と考えており、

孫悟空が何をやっても「観音さまの手の平の上の域を出ることはなく」、

「隠密核推進派」が直進的思い込みで関わってきても

それに反射・対抗するよう、「カミカゼ」、「落窪効果」、「モラル・ガード」がおのずとかかってくる。


そして「ホント」を封印されたくないとする個々の「生を希求する(土希求)エネルギー」も「(種として生命をささえている)ホント」を「受けとめてくれる」ところを求め、「受け止めてほしい!」と「主(ホント)流(ドの音)」をつくり(鳴らし)はじめる。

『伊豆のおばさんに、はがきにボールペンで文章を書いてポストに投函した』
(村上春樹「木野」より)

という文脈は、そのまま地下脈に存在する「地球地下エネルギー脈」のメタファーになっており、それが「視覚・体感できる現実」という形に、時間をかけ、実際に形成されていく。


2018年1月1日から
内容がいきなりとてもインプレッションの強烈なものになりだした


2018年4月9日、日本の神々が集う場所と古来より「かたられてきた」「出雲」近辺で、震度5

2018年7月6日より「平成30年7月豪雨」、引き続いた「猛暑」


2018年9月6日 北海道胆震東部地震震度7(link)

(1/1 2/3 3/3 3/21 5/5 7/7 9/9 9/23 などは「節分」なので変動の目安になりやすい)

単発でなく「人間の集合心理」と関連してとらえてみれば、「人間の傲慢への、自然の逆襲・・」とも「とらえ・かたられ」ないだろうか?

深い思考・共感力がある人々、芸術家や詩的感情を持つ人々に、地震共鳴するような感覚を持つ人々が多い。
(例:直野章子氏が原爆展準備で疲労困憊し、郷里の神戸へいったん帰国と同時に阪神大震災と地震共鳴。村上春樹氏がノモハンまででかけて慰霊の意味の現地のものを持ち帰ると、夜間に部屋が揺れた、など〉


「予知」というのは、他の動物と同じく「直感」の部分で、人間もはじめは持っていたものが、「言語執着」「ウエをターゲット化してめざす意識」が行き過ぎるに反比例して「衰退した」のではないか。

深いところにある「ホント」を知る者たちの意識も増幅し、またそれを阻害しようとするものたちの意識間の葛藤も起き、両方・双方の意識葛藤エネルギーが同時に、そちらへと大量に向かう。

だから、「フクシマ」というのは、「忘れられている」のではなく、大衆意識を形成する役割が、戦時と同様、本当が表(おもて)にでないよう、ものすごく執着深い集合意識が形成されており、盲目的に手をつくすことに余念がないため、「上を目指す意識」は硬直化し、また逆境の中に放置された人々の意識は大量に放出される。

Ryoan Temple Stones Garden

目に見えなくても、「意識」も「無意識」も存在する。


表面上に出てこなくても、膨大な「(『ホント・ド』へ向かう)集合意識脈は、


川の大量の水が、海へと「堰」を切って流れ込む。

人類は長年戦争期を経てきたが「戦争をする」という意識の向き方は「父性性」であり、産まれもっている「意識のしくみ」事態が、男性個体がもはや「戦闘的」だろう。
人類種は「男性性優位」の期間それで数千年経過してきたのである。

女性個体が男性的になって男性性優位のままであったら、それはまだそのまままだ男性性優位である・・。


「平和」「下のドがしっかり鳴って和音が調和する」というのは、
「社会が全体的に母性性が強くなる・地が安定する・地震が少なくなるということである。


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平和社会では、「1個体が大きな集合体を『一斉に率いる!』」という様相ではなく、


全員が、それぞれの個性を認められ、社会に受けいられ、安心して、自分のことを語れる、
という状態である。

また、ある部分、根をはった母性社会的民主社会
「自然の摂理におまかせ」という部分も大きく、おおらかである。

人間はそんな繊細なところまで
「意識にあげられないし、専門家以外はあげる必要もない」とも思う。


言語の発達は、土(大地・母)から離されていることの「不安」が大きい。
だから、産まれてから10か月ほどは、人間は「泣くばかり」であるが、
この「感情のパワー」は「土壌(ド)希求」のパワーと思う。
不安が大きいから、逆に言語をシャープに駆使し、領土を拡大していった。

また、科学というものがたりの捉え方は、「視点」が起点であり、
地球を実験室のようにとらえて思考していく。
技術発展のためだけなら、それであっているのだけど、
非常に分化されすぎて、専門性も強い。

実際、地球は人間の「実験室」ではないし、
個々の身体には、地球の惑星である月と同じ時間の経過をかけた
個々の細胞DNA記憶を、他の動・植・生物同様、ご先祖様から受け継いでいる。

「太陽系」と「運行リズム」を共鳴させる個々の人間の遺伝子(DNA)

そちらの「勘・直感・腑に落ちる感」というもののほうは、
測ることはできないけれども、
個々にとって、感じることができるのであれば、真実に近く精緻でもある。

人間が使用する「ことば」は、細部筆致まで「地勢」との相関性を持っている。(link)
また、「地縁」は、個々の人間が持っている身体・こころの「縁」とも連動する(link)

「地が落ち着いていく」のだから、おのずと人間の考え方も変化すると思う。

The Japanese Archipelago's trembles are getting fewer and calming down.
So I think humankind's mind tendency will become the same as well.
because we(all of us) are living creature on the same land as what we call "the Earth".

  Nuclear and the Humankind cannot Co-exist Nuclear Victims Forum  / 竜安寺石庭 Ryoan Temple Stones Garden 

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