Friday, January 12, 2018

”非現実的な夢想家として As an Un-realistic Dreamer”

村上春樹 Haruki Murakami

Related,Haruki Murakami says he doesn’t dream, he writes(NYT 2018.10.8link)
2011年カタロニアにて:Catalunya Speech in 2011

僕がこの前、バルセロナを訪れたのは、20年前の春のことです。
サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。
長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。
どうしてそんなに時間がかかったかというと
たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。
それで手間取ってしまった。

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、
女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。
それひとつをとっても、バルセロナが
どれほど素晴らしい都市であるかがわかります。
この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、
もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

でも残念なことではありますが、今日はキスの話しではなく、
もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

ご存知のように、去る311日午後246分に
日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。
地球の自転がわずかに速まり、
一日が百万文の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波は
すさまじい爪痕を残しました。
場所によっては、津波は39メートルの高さにまで達しました。
39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上がっても
助からないことになります。

海岸近くにいた人々は逃げ切れず、24千人近くが犠牲になり、
そのうち9千人近くが行方不明のままです。
堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、
未だに遺体もみつかっていません。
おそらく多くの方々は、冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。

そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると
胸が締め付けられます。
生き残った人々も、
その多くが家族や友人を失い、
家や財産を失い、
コミュニティーを失い、
生活の基盤を失いました。

根こそぎ消え失せた集落もあります。
生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに
生きていくことを意味しているようです。
日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。
毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。
各地で活発な火山活動があります。
そしてもちろん地震があります。
日本列島はアジア大陸の東の隅に、4つの巨大なプレートの上に乗っかるような
あぶなっかしいかっこうで位置しています。
我々は、いうなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、
地震については予測がつきません。
ただひとつわかっているのは、これで終わりではなく、
別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。
おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、
マグニチュード9クラスの大型地震が襲うだろうと、
多くの学者が予測しています。
それは10年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。
もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、
それがどれほど被害をもたらすことになるのか、
正確なところは誰にもわかりません。

にもかかわらず、東京都内だけで1300万人の人々が今も
「普通の日々」の生活を送っています。
人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。
今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。
どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に
生活していられるのか?
恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

日本語には無常(mujyo)という言葉があります。
いつまでも続く状態=常なる状態は一つとしてない、ということです。
この世に産まれたあらゆるものはやがて消滅し、
すべてはとどまることなく変移し続ける。
永遠の安定とか、依ってたよるべき不変不滅なものなどどこにもない。

これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、
宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、
民族的メンタリティーとして、
古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は
いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。
しかし日本人はそのような諦めの中に
むしろ積極的に「美」の在り方を見出してきました。

自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、
秋になれば紅葉を愛でます。
それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど
自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。
桜の名所、蛍の名所、モミジの名所は、その季節になれば混み合い、
ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

どうしてか?

桜も蛍も紅葉も、ほんのわずかな時間のうちにその美しさを
失ってしまうからです。
我々はその一時の回向を目撃するために、遠くまで足を運びます。
そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、
小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、
むしろほっとするのです。
美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、
かえって安心を見出すのです。

そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、
僕にはわかりません。
しかし我々が次々におしよせる自然災害を乗り越え、
ある意味では「仕方がないもの」として受け入れ、
被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。
あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし
普段だから地震になれている我々でさえ、その被害の規模の大きさに
今なおたじろいでいます。
無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

でも結局のところ、我々は精神を再編成し、
立ちあがっていくでしょう。
それについて僕はあまり心配していません。
我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。

いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。
壊れた家屋は立て直せますし、崩れた道路は修復できます。

結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。
どうかここに住んでくださいと地球に頼まれたわけじゃない。
少し揺れたからと言って、文句を言うこともできません。
時々揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。
好むと好まざるとに関わらず、
そのような自然と共存していくしかありません。

ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、
簡単には修復できない物事についてです。

それはたとえば倫理であったり、たとえば規範です。
それらは形を持つものではありません。
いったんそこなわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。
機械が用意され、人手が集まり、資材さえそろえばすぐに供えられる
というものではないからです。

僕が語っているのは、具体的に言えば、
福島の原子力発電所のことです。

みなさんもおそらくご存知のように、
福島で地震と津波の被害にあった。
6基の原子炉のうち、少なくとも3基は修復されないまま、
いまだに周辺に放射能をまき散らしています。

メルトダウンがあり・・・

プルトニウムの恐怖Terror of Plutonium(link)



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