Thursday, January 19, 2017

北朝鮮にて 「非核化へ」 草の根で対話
A Hiroshima Student exchanges opinions about N.Bombs with a North Korean Student in her country DPRK

中国新聞 2017119

「我が国(北朝鮮)の核武装をどう思いますか?」

広島市立大(安佐南区)国際学部2年の堀川光生さん(20)は、昨夏に学生交流で出会った北朝鮮の女子大生「ギョンアさん」と交わした会話が忘れられない。

2003年、核拡散防止条約(NPT)からの「脱退」を宣言した北朝鮮は、2016年の2回を含め計5回の核実験を強行した。

安全保障に関心があり「現場を知りたい」と思っていた堀川さんは、子供たちの絵のやりとりを通じて北朝鮮側との関係を築く市民団体「南北コリアと日本のともだち展実行委員会」(東京)の交流事業に応募。

昨年823日―29日に、東京などの学生7人と共に中国経由で首都の平壌を訪れた。

現地では平壌外語大で日本語を学ぶ学生11人と一緒に遊園地と動物園を巡った。

広島で平和学習を続けてきた堀川さんは、原爆被害を話すつもりでいた。

その機会は、朝鮮戦争に関する「祖国解放戦争勝利記念館」との行き来のバスでやってきた。

隣の席のギョンアさんから日本語で北朝鮮の「核武装」の受け止めを問われ、「核兵器をなくそうとする国際社会の潮流に逆行しよくない」と素直に答えた。

しばし沈黙ののち、「広島の惨状を知っている。我が国に使われないよう、鉄壁の守りを固めたい。」との答えが返ってきた。

聞けば、広島の被爆を扱ったドキュメンタリーを見たことがあるという。

堀川さんは「北朝鮮の学生が原爆被害を切りだすのは意外だった」と振り返る。


だが、せっかくの被害への認識は、今のところ核超大国の米国に抱く「脅威」と、自国の核保有の肯定につながっているように思えた。

核を使わせないため、核を持つ。

この抑止の論理は、米国やその「核の傘」に入る日本や韓国にも通じる。

そのため、北朝鮮だけに核放棄を迫るのは説得力を欠く。

一部の専門家や政治家は、北東アジアで米ロ中が核を使わないと約束し、日韓と北朝鮮は持たないと宣言する「非核地帯化」を提案する。

一方、日本の外務省は、北朝鮮の核放棄が先決の姿勢だ。

昨夏の訪朝で、堀川さんは、核保有が新たな核保有をまねくジレンマを改めて感じた。

「学生から、核武装『家族や大事な人を傷つけられたくないから』との声を聞いた。」

核・ミサイル開発を誇示する北朝鮮の国営放送などから想像していた米国、日本への好戦的な姿勢とは少し違った印象を受けた。

被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんがモデルの「原爆の子の像」の話をすると学生たちが涙を浮かべ、「原爆は怖い」との感想も聞けた。

子供たちの凧揚げ、結婚式・・・。

日本のニュースではあまり伝えられない同じ人間の営みをスマートフォンで写した。

「考えに隔たりはあるけど、対話を進めるため、現地の若者の声を身近な人から伝えたい」

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推計によると、昨年1月時点で核兵器10発を保有される北朝鮮。

北朝鮮は、同10月の国連総会第一委員会(軍縮)では、「核兵器禁止条約」の交渉開始決議案に賛成票を投じた。 →以降、会議直前(2017年3月)に欠席届けを提出

Monday, January 16, 2017

台湾の脱原発

中国新聞 2017116日 社説

台湾が、2025年までに「原発ゼロ」を目指すことを決めた。

現在3か所に6基ある原子炉は、順次廃炉とする方針だ。

脱原発の流れは、欧州で広がりつつあるが、台湾で実現すれば、アジアでは初めてとなる。

台湾は資源に乏しく、地震が多い地域である。
日本と似た環境でありながら、いち早く脱原発を決めた動きに注目したい。

台湾で原発は、発電容量の16%を占める。
計画では、再生エネルギーの割合を現在の4%から、25年までに20%引き上げて、原発の代替とする。

離島で太陽光発電や風力発電を積極的に進め、改訂に送電線を敷いて電力を送る計画もあるという。

再生可能エネルギーの普及がスムーズに進むかどうかは予断を許さない。
技術的な課題も残されていよう。
電気料金の値上がりを不安視する声もある。

それでも脱原発を決めたのは、東京電力福島第一原発の事故を教訓としようとする民意があったからにほかならない。

想定外の事態で事故が起きれば、放射性物質は広い範囲を汚染し、将来の世代にも影響を及ぼしかねない。

原発の根源的なリスクを直視し、多くの市民が「ノー」を突きつけて大規模なデモを展開した結果であろう。

また民意に呼応した政治の動きも大きな原動力となった。
昨年1月の総選挙では、民主進歩党(民進党)が「原発のない郷土」を公約に掲げて当選し、対する国民党も脱原発を支持してきた。

こうした民意を重んじる政治の力が、今回の流れを確固たるものとしたと言える。

Nuclear and the Humankind cannot Co-exist Nuclear Victims Forum  / 竜安寺石庭 Ryoan Temple Stones Garden 

谷口さん 最後の運動を覚悟しMr.Taniguchi's last activity,
「ヒバクシャ署名hibakusha alleal 」 
hibakusha appeal
Mr. Taniguchi participates in the activity,
with strong WILL,  “This might be the Last
中国新聞2017116

16歳で原爆に容赦なく焼かれ、皮下脂肪と汗腺を失った背中は瘢痕という薄い膜が覆う。

大きく息を吸うと痛み、冷気が身体に一層しみいる。

その体を押して、長崎原爆飛散者協議会の谷口すみてる会長(87)は先月26日、寒風吹く長崎市の繁華街に立った。

マイクを通してもかすれる声を絞りだす。

集めていたのは、
党派を越えて核兵器を禁止廃絶する条約の締結を各国に迫る「ヒバクシャ署名」。

被爆者の全国組織「日本被団協」の提唱で、20154月に開始。

被爆75年の20年までに数億筆を目指す。

長崎では、被災協など被爆者5団体が「県民の会」を結成。毎月26日の街頭署名と自治体への協力要請を続ける。

谷口さんは入退院を繰り返しながら、先頭に立つ。
Mr. Taniguchi, sometimes being hospitalized  due to deteriorating his body condition, even though he has strong WILL to be at the top of this activity to express “Anti- Nuclear”

長崎市の田上富久市長も、谷口さんの直談判を受け、先月参加した。
Last month, he  directly asked Nagasaki Mayor Taue to join this activity.

長崎県内の市長で庁舎への著名箱設置や広報誌でのPR、首長の著名が広がる。

「禁止条約のためなら、はってでも出向きたい。生きてる者の使命だから」。

民間の連携は被爆地広島の先を行く。

1954年、米国の水爆実験で第5福竜丸が被曝したビキニ事件を機に、原水爆禁止署名が国民的運動として広がり、1年余りで原水禁運動が分裂後も地道に3千万筆超に。それが1956年、日本被団協結成につながった。

60年代にソ連の核実験をめぐり、原水禁運動が分裂後も地道に署名集めや核実験抗議の座り込みを続けた。

「焼けた背中」の写真を手に証言も。

1982年には国連軍縮特別総会に伴う被爆者たちの渡米団に加わり、世界約1億筆の反核署名を届けた。

署名を力に世界への訴えを続けたが、運動を支えた仲間は次々と逝った。

1982年の国連軍縮特別総会での演説で「ノーモア・ヒバクシャ」と訴えた山口さんは2013年に82歳で死去。

共に座り込んできた谷口さんの妻、栄子さんも、20164月に亡くなった。

「原爆で生きるか死ぬかした人間の話(はなし)から、条約がなぜ要るのか多くの人にわかってほしい。」

被爆者としての「最後の運動」として、今回の国際署名にかけている。

Mr.Taniguchi passed away in his age of 88







Thursday, January 12, 2017

台湾が脱原発法 可決
アジア初 6基 25年までに「廃炉」

中国新聞 2017112

台湾の立法院(国会 一院制)は11日、2025年までに、3原発6基の原子炉を事実上、全て廃炉にすることを盛り込んだ電気事業法の改正案を可決した。

総統令を経て発効する。

代替の再生エネルギー拡大を進める内容で、東京電力福島第一原発事故後、欧州ではドイツなど脱原発に舵を切った例があるが、日本のNPO法人「環境エネルギー政策研究所」によるとアジアでは台湾が初めて。

世界には先進国で脱原発の声が高まっており、ドイツは22年までの全原発
閉鎖を決め、スイスも34年までに順次、運転を停止する方針。

福島事故で不安拡大

台湾が脱原発に動いたのは20113月の東京電力福島第一原発事故を受けて、同じ地震多発地域として原発事故への不安が広がったことが大きい。

与党の民主党進歩党は福島の事故当時、野党だったが、自己直後から脱原発への姿勢を明確化、
「非核家園(原発のない郷土)」の実現を訴えてきた。

世論の関心も一気に高まり、福島事故直後の114月に1万人規模の脱原発デモが起きた。

133月に行われたデモは台湾各地で参加者が計22万人に上った。

当時の国民党の馬英九政権もゲンパツ依存度を徐々に下げていく姿勢を表明した。

1998年に着工した第4原発も建設中止を求める声が強く、政府は14年に建設凍結を決定。

昨年1月の総統選では、国民党候補の朱立倫氏も民進党候補の葵英文氏と基本的に同じ「25年までの非核過程実現」を主張。

与野党の足並みがそろった。

Sunday, January 8, 2017

被爆者らの鶴 真珠湾到着
禎子さんのおい祐滋さん 3000羽 
アリゾナ記念館(ハワイ)に寄贈
Yuji presents 3000 paper cranes to Arizona Memorial in Hawaii

中国新聞 201718日 January 8th, 2017



広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんのおいで被爆2世の祐滋さん(46)6日、ハワイ・真珠湾のアリゾナ記念館のビジターセンターに安部晋三首相夫妻や被爆者、元特攻隊員らが作った折鶴約3千羽を寄贈した。

佐々木さんは昨年5月に現職として初めて広島を訪問したオバマ大統領が自作の折鶴4羽を寄贈したことが「禎子の遺族として非常にうれしく、お返しがしたいと思った」
という。

その後、さまざまな人に声をかけ、被爆者や日本の中学生、徳島市在住の元特攻隊員田尻正人さん(94)らに鶴を折ってもらった。

昭恵夫人からも賛同を得て、首相夫妻の折鶴寄贈につながったという。

佐々木さんは「寄贈をきっかけに日本と米国、日本とハワイの絆がますます深まることを願っている」とあいさつした。

寄贈式には、真珠湾を管理する米国立公園局関係者やハワイ州のイゲ知事夫人ドーンさん、オバマ大統領が通ったハワイのプナホウ学園の生徒、同学園元教師で被爆2世のピーターソン・ひろみさん(68)らが出席。

昭恵夫人もビデオメッセージをよせた。

佐々木さんらはさらに約2千羽の折鶴を後日寄贈する予定。

禎子さんは広島で被爆後、鶴を折り続け、12歳で亡くなった。

祐滋さんらは2012年に禎子さんが折った鶴を同センターに寄贈、13年から常設展示されている。


Saturday, January 7, 2017

オバマ氏、長崎にも折鶴

中国新聞 201717日 

長崎市の田上富久市長は6日、東京都港区の在日米大使館で、大統領の任期を終えるオバマ氏に再び被爆地を訪れてもらえるよう、ケネディ駐日大使に求めた。

ケネディ氏は、オバマ氏が昨年5月の広島訪問時に作った折鶴2羽を、田上市長に寄贈した。

市は7日から3月末まで、原爆資料館で展示する。

市によると、鶴は赤とピンクの紙で折られたもの。

オバマ氏は同月11月、ホワイトハウスでケネディ氏に、「長崎に送りたい」と手元で保管していた2羽を託した。

田上市長に宛てた1216日付のオバマ氏の手紙には
「核兵器のない世界という、崇高な目標に向けた、あなたと長崎市の尽力に、心から感謝し、深い敬意を表す」と記してあった。

今後のオバマ氏が、広島や長崎への足を運ぶことについて、ケネディ氏は、(田上市長の意向を伝えます。)と答えた。