基町高校生が取り組む「原爆の絵」
証言聞き取り、生徒が再現
証言聞き取り、生徒が再現
1枚の油絵がある。
河原に横たわる無数の遺体。それらを運び、火葬しようとする軍人たち。
動かない母親にすがる幼子の姿も。
題名は、「力尽きた人々」。
爆心地から1.9キロの福島町(現広島市西区)で被爆した朴南球(パク・ナムジュ)さん(84 Korean Hibakusha)の脳裏に刻まれた72年前の証言がもとになった。
描いたのは基町高(中区)創造表現コース3年杉江湧愛さん(18)。
生徒が被爆者から聞き取った体験談を1年かけて描く「原爆の絵」の取り組みの一環で完成させた。
杉江さんは、昨年8月、在日韓国人の朴さんに初めて会った。
当時12歳だった朴さんが被爆当日の昼に自宅近くの河原(現在の太田川放水路の河川敷)で見た惨状を聞いた。
「戦争はいけん」と感情をあらわにする姿が印象的だった。
下絵に取り掛かり、大枠ができたところで朴さんに見せた。
すぐに表情が変わった。
「こんなもんじゃない。遺体はもっと足の踏み場もないほど多かった。髪や服はぼろぼろで、こんなにきれいじゃないし・・・。」
厳しい指摘が待っていた。
そこから筆が止まった。
「理解はできたけど、想像がつかなくて」
朴さんの記憶にあうような遺体を描けず、悩んだ。
そんな時、
「水を求め、必死に起き上がろうとしていた」という朴さんの言葉を思い出す。
一人一人の状況を考えることにした。
どうやってこの場にたどりついたのか、なぜこの体制で倒れ、どんな思いで立ちあがろうとしていたのか。
少しずつ「あの日」に迫っていった。
土日も投稿して筆を進めた。
描きなおしては、放課後、朴さん方に通った。
仕上がったのは今月4日の完成披露会の前日だった。
披露会で絵を見て、朴さんはうなずいた。
「戦争をするとこんなに残酷なことが起こる。それを伝えたかった。」
「だからこそ、厳しく修正を求めてきた、多くの人に見てもらいたい。」
基町高の取り組みは、原爆資料館(中区)が2007年度から依頼。
10回目となる今回は、2,3年18人が筆をとった。
2007年からの、平和文化センターの取り組み、
10年間で116作品
延べ54人分の証言が絵になった。
2007年からの、平和文化センターの取り組み、
10年間で116作品
延べ54人分の証言が絵になった。
絵は資料館で保管され、被爆証言を聞く会などで活用される。
「あの日」の現実をよりリアルに伝えるのに役立つ。
10年間、指導する橋本一貫教諭(58)は
「絵は資料価値が高い。証言が聞けるうちに一枚でも多く残したい」という。
「生徒はつらい経験を心に刻み、人に寄り添う大切さにも気づける」。
卒業後、被爆者と交流を続ける生徒もいる。
杉江さんは1,2年時に続く2回目の制作。
朴さんは作画の過程で何度も相談に乗ってくれ、時に母国の家庭料理をふるまってくれた。
「次世代に受け継ぎたいという信念を感じた。私はそれに突き動かされた。」
25日には、杉江さんの後輩が11回目となる制作作業を始めた。
「あの日」を思う。
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