Sunday, December 25, 2016

ハワイ移民 知る契機に 犠牲者慰霊 友好深めて
首相、真珠湾訪問前に、資料館(南区)の川崎さん

中国新聞 20161225


広島市南区仁保の ハワイ移民資料館「仁保島村」館長で、移民だった父親を持つ川崎寿さん(73)は期待を寄せている。

広島県は、多くの住民をハワイに送った「移民県」。

ただ、真珠湾攻撃で始まった戦争では、日系移民二世たちが米兵となり、親の祖国と戦った歴史もある。
「苦難を知り、犠牲者を慰霊することが友好につながる」と願う。

川崎さんの父は仁保地区から1900年代初頭にハワイに移り、サトウキビ栽培に従事。
永住した親族もいたが、父は41年の真珠湾攻撃を前に帰国し、仁保に戻った。

日本生まれの川崎さんには、ハワイで暮らした経験はないが、父や親族が苦労した移民の歴史を伝えたいとの思いから、約20年前に移民の調査を始めた。

自宅の蔵を改修し、96年に開いた資料館には、明治時代のパスポートや、戦前のハワイの写真パネルなど収集した資料を展示している。

広島とハワイのむすびつきは深い

1885年に始まった明治政府主導の「官約移民」で、県内からは国内最多の約11千人が渡航した。

田畑が狭い仁保も移民が多い地域だった。

1930年ごろには、ハワイの人口の約4割を日系人が占めていたという。

川崎さんの調査では、開戦後に米軍の捕虜になり、戦後に日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)に通訳などとして雇われ、日本の地を踏んだ人もいた。

「母国による攻撃は衝撃だったはず。日本との断絶が決定的になり、つらかっただろう。」

ハワイでの日系人の苦難を知るだけに、首相が真珠湾を訪れて慰霊するとのニュースを聞き、「素直に嬉しかった」と話す。

移民の調査を始めたころ、真珠湾で旧日本軍に撃沈された戦艦上にたつアリゾナ記念館をおとずれたことがある。

居合わせた米国人から冷たい視線を感じたが、花で作った首輪(レイ)を慰霊碑に手向けると、ウインクされるなど、心が通じたように感じたという。

2627日の両日に予定される安部首相のハワイ訪問が近づく。


「人間として、慰霊の気持ちを示してほしい。多くの日本人が移民や戦争の歴史に目を向け、真珠湾を来訪する契機になってくれれば」と話す。

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