Sunday, June 3, 2018


「核なき世界を求めて」


普天間返還という「起爆剤」を提案したのは19962月末に米サンタモニカで行われた日米首脳会談の直前と記憶している。


一方、日本では橋本首相がこの首脳会談の1か月前に前任の村山首相の後をついで、総理大臣になったばかりだった。

にも関わらず、日米両首脳はサンタモニカでの初顔合わせで「普天間返還」という難しい政治問題の解決をめざし、呼吸の探り合いを演じている


首相は日米同盟体制に対する日本国民の理解を得るためにも、沖縄米軍基地の整理・統合・縮小を要請。具体的な沖縄県の要望として、普天間の返還を掲げたのである。


この問題について、最終的に我々が目指した「最善」の解決策は、それまで多くの関係者が必至で考え抜いた末のものであり、多くの議論の結果うまれたものだ。

だから、日本で民主党政権が誕生した際、この合意を破棄するかのような言葉を、時の総理大臣が発したときには正直、とてもがっかりした。

日本の新しい首相が普天間の移設先として、「最低でも県外、できれば国外」と発言したことについて、それを「裏切り行為」とまで呼ぶつもりはない。

ただ、その合意を後押しした当事者として、とても大きな絶望感を覚え、落胆したことだけは付け加えたい。


Former US Secretary of Defense, W.J.Perry joined Hiroshima Nagasaki Zero Project (2017)


【考】
第二次世界大戦における文脈で、「広島・長崎」と「沖縄本土上陸決戦」には、大規模戦争時にみられる「決死」という集団心理状況がゆえに起こってしまう多くの共通項が見られる。

特に日本側は、「滅亡しても(一億総玉砕しても)、勝利する!」という「文脈破綻」を,「文脈破綻」していることにも気がづかず、個々の多くのものたちがその言葉を口にして死んでいっている。

それを「煽っていた」ものは何なのか?

世界の歴史の中でも、「(最も最近の)世界大戦下」で起きた、(且つ)最も大規模であった「日米間で起きた決死戦」。

「広島・長崎」と「沖縄」における「(異常な)心理的敵対関係」を、双方が、「センセイショナルに煽られる『戦争』という形ではなく、


Tell & Show 'what was that like',
it is survivors obligation
泉:Fountain)


有無をいわされず動員された「個々の人間」に起こったことを、

言葉にならないままほっておくのでもなく、

「個々の人間」が見、経験し、
そして生き延びたことを

『表現、文章化(文化・culture)』
することにより、

「起こったことが、個の『人間』にとって、
いったい何だったのか、

どうしたら双方が癒されるのか、

時間をかけ、腑に落とし、超えていく」ことが、
「世界の『人道』をふまえた和解(reconciliation & peace)」にも通じ、非常に重要と思う。




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