Thursday, October 11, 2018


泣き虫ハァちゃん 河合隼雄
Crying Ha-chan”  Kawai Hayao’s last story

ハァちゃんは、ふと思い出したようにお母さんに尋ねてみた。
「僕だけなんで泣き虫なん?」

お母さんは、話しをしようかどうしようか少し迷っておられたようだが、
とうとう、
「それはね」と話し始めた。
すると、お母さんの目にはもう涙が浮かんできたようで、
ハァちゃんは、はっと目をそらして庭を見つめた。
五葉の松もなんだか元気がなさそうに見える。

お母さんのお話はこんなことだった。

ハアちゃんは覚えているかどうか、弟のあきちゃんが二つで亡くなったとき、
お母さんは悲しくて泣いたが、ハアちゃんも一緒に大泣きした。

お葬式の時、御棺を出そうとすると、ハアちゃんはその前につったって、
「ほったらあかん」と叫んで、泣きながら御棺が出てゆくのを必死で止めようとした。
これには大人たちももらい泣きした、というのである。

ハアちゃんは何も覚えていなかった。
しかし、あきちゃんと一緒に遊んだことはすぐ思い浮かんだ。
あきちゃんは病気で死んでしまった。

お母さんはあまりのショックに、毎日、仏壇の前で御詠歌を涙ながらにあげ続けた。
他のことは何もする気にならなかったのだ。

お母さんのそばにはいつもハアちゃんがつきまとい、一緒に泣いたり、御詠歌をあげる真似をしたりした。
それによって、お母さんの心はどれほど慰められたかわからない。
しかし、「それがもとで、ハアちゃんだけ泣き虫になったんやろうかね」
とお母さんは言われるのだ・・・。


「苦しみに寄り添う、ハアちゃんの涙」 小川洋子

お池にはまったどんぐりが、おうちに帰れるかどうか心配になって泣いてしまうような男の子、それがハアちゃんだ。
泣き虫の自分を恥じるハアちゃんに
「泣いてもええんよ」
と優しく話しかけたお母さん。

弟のアキちゃんが二つで死んで、お母さんが泣き暮らしている時、その傍らで一緒になって泣いていたのがハアちゃんだった。
お仏壇の前で、お母さんと一緒に泣いているハアちゃんに向かい、私はそっと耳打ちをしたい気持ちになった。

あなたは生涯、そうやって、人の苦しみに寄り添う使命を背負い、それを全うすることになるんですよ、と。(200712








「喧嘩両成敗:No winners for any wars. Both sides have evils and the evils would continue

「第2次世界大戦the WWII」について、日本では「米国が沖縄Okinawa本土上陸、広島Hiroshima・長崎Nagasakiに原爆投下した自国の『対米戦争the loser side against US』」という認識usual recognitionが強いが、
1931年、「日本が中国declared against China に宣戦布告した『満州事変Manchuko-war』」、
1941年「日本が米国declared against USに宣戦布告した
 『真珠湾攻撃からの太平洋戦争the Pacific war』
の両方を含む。

被爆者(hibakusha)の上田満子さんは、
「私は1931年の満州事変の年に生まれたので、満子と名付けられたんですよ。だから日本は対中国で戦争し、続いて対米国で戦争をした結果、『悪いことをしかけると、悪いことを呼び込んで、とんでもないことが続いて起こってしまう流れ』がよくわかるんです。喧嘩は両成敗です。」と語られた。

One of hibakusha, Ueda Mitsuko-san told me that,
“I was named after Manchukuo-war in China. Because I was born in the same year of 1931. So I really understand that if we do evils to others, we receive evils from another direction. And evils are strongly continuing and related. So we all have to think “Any and all wars are always having evils in any cases, so that we have to stop doing evils whichever side we belong to.(喧嘩両成敗)”.

平和に必要な視点 What is necessary for 'peace' ?