Thursday, May 10, 2018

Pakistan would not use nuclear weapons first (2019.9.2)

インド・パキスタン核保有時(1998年)とヒロシマ
The Move of Hiroshima Citizen in 1998, 
when India & Pakistan become Nuke Powers

To UN Conf. on TPNW, 2017
反核の父のそばで育ち、ごく自然に反核の娘となった森滝春子さんは、市郎さんが他界して(1994年)から3年後、亡き父の同志ともいうべき二人の被爆者の会話に耳を傾ける。
About three years after her father’s death(1994), Ms. Moritaki just heard two of hibakusha's conversation.

「インドとパキスタンが核戦争をしたら、大変なことになる。」
「原爆(核)の恐ろしさを教えにいくしかない!」
“India and Pakistan might get into a war..with nuke bombs…? Isn’t it terrifying?”
“We have to go and tell them what would happen once the A-bomb used….”

このとき、インドとパキスタンの対立はエスカレートしており、1998年になると全面核戦争の危機が話題にのぼりはじめた。
核による恐怖の均衡はおさまらず、中国と対立していたインドは1974年、核実験を行う。
このため、領有権をめぐってインドと武力衝突を繰り返してきた隣国パキスタンも、核開発に突き進んだ。


父だったら必ず反核の行脚にでる・・。
私の師
森滝さんはそう確信し、インド行きを決意する。
Ms Moritaki imagined,
“What will my father do……?”
“Certainly he will go there in direct…and persuade people…so I have to…...”

市民グループの代表世話人になり、199811月から、12月にかけて、インド・パキスタンにわかれて入った。
Immediately she become a leader of citizen-group, and went both countries in two groups separately from November to December,1998.

「インドが核兵器を持ったんだから、核抑止力のために必要だった。」
「パキスタン人として誇りに思っているよ。」
これが、両国の知識人たちの実態であった。
“India has nuke bombs, so should do the same of us as deterrence.” an intelligence of Pakistan said.
“Pakistan people have pride for this, because they want to show that their country have developing high skills  .”

森滝さんは原爆がもたらした「ヒロシマの惨状」を示す写真を掲げては、若い世代に訴えた。
「一発の原爆が、都市を完全に破壊してしまうのです。そのうえ、大勢の被爆者がずっと放射線の影響の後障害に苦しめられます。良識と連帯をもって、世界から核兵器を廃絶させましょう。
Ms Moritaki brought pictures of just after A-bombed Hiroshima city in 1945, for persuading  youngsters there,
“If once, only one nuke bomb used, actually what will happen are these…..and many, many people will die and  suffer the after effects or radiation…..”

そして、次の年の広島原爆の日の直前、インドから5人とパキスタンから3人の若者が広島にやってきた。
Next year, just before August 6th, 5 students from India and 3 from Pakistan come to Hiroshima to learn about the A-bombing.

その後も両国から10人前後の若者をまねいているが、3回目の参加者にパキスタンの16歳の少女がいた。
Then later sequence for several years, she has invited approximately 10 students from these two countries.
Among them, there was a 16-year-old girl.

広島の原爆投下後の惨状を見た彼女は、衝撃のあまり食事をとれなくなった。
それでもスピーチになると気丈にも、こう告白した。
「私の父は核のボタンを管理しています。私はそういう立場にあるのですが、今は自分の世界が180度かわりました」
When she saw shocking pictures, she become not being able to eat anything for a while.
However, she had a courage to have her own speech in front of the participants.
She said,
“Actually my father’s job is controlling the button to deploy those types of bombs, however my idea on nuke bombs have 180 degrees changed…..”

森滝さんは言った。
「ヒロシマに来て、わずか10時間で、核は絶対悪だとの考えに至るのです。真実を知ること、知らせることが、いかに大切かを痛感しました。
Then, Ms Moritaki recognized that how important to “Tell and Show the truth and realities.”


アメリカ人が伝えるヒロシマ
Steven Leeper (link)
1998年、インドIndiaとパキスタンPakistanの両国がにわかに緊張を高めます。

そして同年5月、両国は相次いで核実験を行い(n-bombing testing)、核保有を表明するにいたりました。

日本、とりわけ長崎や、私が住む広島の核兵器廃絶を求める活動家たちは、大変なショックを受け、新しくいくつかの団体が組織され、インド・パキスタンに対する具体的な活動を起こします。

私は森滝春子さんと、言語の垣根を越えて国際的な平和をめざす市民団体を設立しました。

私は、1999年に第一次インド・パキスタンへの平和行脚を、2000年に第二次・第三次のインド・パキスタンへの平和行脚を率いました。

さらには他団体の活動として同じく2000年、アメリカ先住民と一緒に東京から広島までのピースウオークを企画、実施しました。

このころから、私はコンサルタント翻訳家から平和活動家として生きていくようになったのだと思います。