Tuesday, March 16, 2021


Bernardバーナード・Lown M.D.ラウン氏 を追悼する

Excerpt from ”The Lost Art of Healing” by Bernard Lown M.D.

 “A Modern Hasidic Tale”;

I want to write, therefore, in far greater detail about one patient who shook me up, educated me about issues remote from medicine, provided me with unusual psychologic insights, and deepened my art of healing.

There is a more compelling reason for my sharing the tale of the patient, S.V.

His story launched me into writing this book.

God did not play dice with the universe/The Lord is not capricious in his actions by Einstein


 2021(令和3)年316日 中国 田城 明

 米東部ボストン市郊外の自宅でバーナード・ラウン氏が死去した、との訃報に接して1か月。あらためて医師として半世紀以上にわたり、核兵器廃絶・平和のために働き続けた偉大な功績を思わずにはいられない。

ラウン氏と初めて会ったのは19866月。核戦争防止医師会議(IPPNW)がノーベル平和賞受賞を機に、核戦争の脅威を伝える「グローバル・キャンペーン」を実施し、広島を訪れた時のことである。多忙な中、快くインタビューに応じてくれた。気さくで、温かみのある人柄が強く印象に残った。

2度目のヒロシマ訪問となった893月には中国新聞社を訪ね、当時の山本朗社長(故人)らと対談。7か月後の10月に広島で開催する第9回IPPNW世界大会の意義などについて意見を交わした。「原爆で多くの従業員が犠牲になった中国新聞も被爆者です。」との説明に深くうなずき、「世界平和の確立」をうたった社是に強い関心を示した。

核戦争(Nuclear War)防止」「核兵器廃絶」を目標にするIPPNWにとって、「マスメディアに強い見方を得た」との思いを強くされたのだろう。欧米のマスコミからは、「ソ連の手先ではないか」と誤報されることも多かったからだ。

折しもラウン氏は、自らの考えやIPPNWの取り組みについて、世界中の多くの人々に知ってもらいたいと原稿を執筆中であった。対話の中で本誌への寄稿が決まり、「病める地球を癒すために」と題して7月から2年間、ほぼ毎月1回、長文の論考をファックスで寄せてくれた。



原稿は毎回テーマが違った。豊かな語彙、流麗な文体、一行一行に深い意味がこめられ、説得力があった。「軍拡競争のツケ」では、膨大な軍事費によって米国内の教育や保健行政などの民生面が衰退し、貧困や犯罪が増加。核超大国の安全保障が社会の内部から崩壊しているさまを活写した。

心臓病患者と向き合ってきた体験に基づく「言葉の治癒力」では「丁寧な問診や患者との会話の重要性」を強調。「患者は生命が危険であるのを自覚しながらも、心から医師を信頼し満足することで、健康を取り戻すことがあるものだ」とつづる。

そこには、医師として一人一人の患者に誠実に接し、生命を守るという「医の倫理」が宿る。ラウン氏にとってIPPNWの活動も、核戦争の脅威からすべての人々の「命」を守ろうとする「医の行為」の延長だったのであろう。

核戦争(Nuclear War)がもたらす人類破滅の危機を医学的立場から、世界中の人びとや政治指導者らに訴えてきた半生であった。こうした取り組みが、今日の「核兵器禁止条約(TPNW」の発効の礎ともなった。

「核抑止政策は邪悪で不道徳」

こう力説したラウン氏の次の言葉を、今も忘れない。

「広島・長崎市民、そして日本人は、『核抑止力依存』という悪に対して、ささやくような小声であってはならない。日本政府を動かし、声を大にして、核兵器廃絶を世界の人びとに訴えてほしい。」

核戦争の悲惨さを最も知る被爆地市民、被爆国日本への期待である。

が、今なお「米国の核の傘」に依存し、「核兵器禁止条約(TPNW」にも背を向ける日本政府・・・。

ラウン氏の期待に応え、変革をもたらすのは決して容易ではない。

しかし、その道を粘り強く歩み続けることこそ、氏の遺志を引きつぐ事にほかならない。