トラービン大佐の手紙(「旧ソ連戦慄の核実験」より)
モスクワで私たちは、トラービン大佐のかつての部下から一通の手紙を託された。
「これは、トラービン大佐がブレジネフにあてた手紙の草稿です。当時そのような機密文書を個人で保有することは禁じられていました。私が密かに書き写してこれまで隠していました。トラービン大佐も持っていないはずです。彼にこの手紙を渡してください。」
もう20年も前に書いた手紙は覚えていません、というトラービン大佐の目からは涙がこぼれ落ちてきた。
草稿とはいえ、自分の手紙を見るのは久しぶりのことだった。
そして、20年間の感慨を込めてその手紙を読み上げた。
「尊敬するブレジネフ書記長」
共産党の規則に従い、国際的及び国防上意義のある問題について閣下に定義いたします。
現段階でのわが国及び諸外国の学者は、核兵器のもたらす被害について、根本的に低く見積もっています。
諸外国の軍事期間は、アメリカ国内に13000メガトン、ソ連国内に17000メガトンの核爆弾が降り注ぐ全面核戦争の場合、住民の被害はアメリカで人口の20パーセント、ソ連で15パーセントと積算しています。
その際、彼等は地上付近の大気の放射能汚染による被害はありえないとしています。
我が国の学者も同様の意見です。
しかし、私の分析によってこれまでの我が国の学者の誤りが、実験の結果として示されています。
それは地上付近の大気の放射能汚染を決定的に低く見積もっていたのです。
私の研究結果は、核兵器廃絶を進める閣下の政策を補強する科学的な根拠となるもので、核兵器を永久に禁止することの必要性を示すものです。
各国が核兵器の数を増強している現段階において、純粋な「放射能戦争」の可能性も否定できません。
アメリカでは、地中で爆発する核弾道の開発が行われているのは周知の事実ですが、この目的は放射能汚染の範囲を、核攻撃を受けた国に限定することです。
住民を抹殺したうえで、国の資源は出来る限り保ち、利用しようというのです。
放射能で住民は徐々に死んでいきますが、これも保健衛生上の条件を保つうえで好都合だという考えです。
このような放射能戦争の場合、人々が死ぬのは、地上付近の大気が放射能で汚染されるからで、これを防ぐ手段は、個人としても、集団としてもありません。
しかし、我が国の参謀本部は、閣下に対して、この問題についての偽の報告を行っています。
1969年12月には、生物物理学研究所でのシンポジウムで、核爆発の際の放射能汚染がたいしたことがないとされました。
政府に対してもまた参謀本部に対しても、事実に基づかない報告がなされています。
彼等は、爆心地近くの放射能汚染レベルを120万分の1も低く見積もり、そして遠い地殿では200万分の1まで低めていたのです。
これは、間違いを犯した学者自身が認めていることです。
1969年の終わりに採択された文書もまた実験データに基づかないもので、そこにのべられているデータも、実際のデータを大幅に低めたものなのです。
ソ連国防省は、人体に入る放射性物質の許容量を科学的根拠に基づかず決定しています。
このことは手紙に添えました私の論文で詳しく証明されています。
私が中央委員会にお願いしたいことは、次のことであります。
*私の論文について、公平な審査を行う委員会を設立すること。
*核爆発の際の大気の放射能汚染に関して、筆者が唯一の研究者であることに鑑み、今後も筆者に研究を継続する機会を与えること。
謹んで以上の件を受け入れられますよう、要請いたします。
セルゲイ・トラービン
(後談)
「私は核実験に進んで参加しました。誠実に自分の職務と責任を果たしてきたつもりでした。私がやらなければ誰かが代わりに同じことをしたでしょう。後悔はしていません。しかし、核兵器と核実験そのものは悪だったのです。それに関わった私の罪は消えません。一日も早く核実験が禁止され、核兵器が全廃されるよう、残りの人生を捧げるつもりです。」
トラービン大佐は、20年前の論文を再現しようと試みた。
しかし、資料はすべて奪われていた。
記憶だけを頼りにした。
氏は、完成した論文を、広島と長崎の犠牲者に捧げたい、とわたしたちに言った。